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平成の虚無僧一路の日記

「徐福」伝説 

2018年05月18日 外部ブログ記事
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「徐福」のことは司馬遷の『史記』に書かれてある。徐福は、秦の始皇帝に、「東方に不老不死の霊薬がある」と具申し、3,000人の童男童女と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って、東方に船出し「平原広沢」の地に辿りつき、そこの王となり、戻らなかったという。見方によっては、「徐福は、始皇帝に不死の薬を探しに行く」と言って、莫大な資財と援助を得て、海外に逃亡し、そこの国の王になった裏切り者である。始皇帝を騙した男だ。始皇帝から東方行きを命ぜられたほどの人物だから、名門の出で、相当の権力者だったのであろう。始皇帝の暴政から逃れる手段でもあったか。しかし、現在の中国に「徐」姓が無いのは、一族全員引き連れて渡航したか、あるいは、始皇帝の命に背いたので、残っている者は「徐」姓を名乗れなくなったからだとも。1982年、江蘇省にある徐阜という村が、かつては「徐福村」と呼ばれており、「徐福」ゆかりの村と話題になった。「徐州、徐州と人馬もなびく〜」今や、日本からの観光客も多いそうだ。紀元前に、中国から 3,000人もの人が日本に渡って来、農耕や機織などの技術を伝えたというのは、十分あり得る話だ。徐福伝説は、東北から九州まで、日本の各地にある。そして、彼らは「秦(しん)」から来たから「秦」さんと呼ばれ、機織(はたおり)を伝えたから「秦=はた」さんと呼ばれるようになった。私なりに納得。なんか普化宗の伝播に似ている話だ。

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