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調所広郷 (琉球黒船事件) 

2018年04月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



調所(ずしょ)広郷(江戸時代後期の薩摩藩の家老)

琉球黒船事件で、調所広郷が命をかけた秘策
 ☆幕末、ペリー来航の9年前、琉球にフランス船が到来し琉球の開国・通商要求
 (琉球は、薩摩藩と清国のあいだで、微妙な立場にあった)
 ☆薩摩藩の島津斉彬や時の老中・安部正弘を巻き込んだ交渉
 ☆琉球を支配していた薩摩藩の家老が仕掛けた命をかけた方策
 (琉球の開国の必要性を幕府に説明し、幕府を説得し、開国による薩摩藩の利益を図る)
 ☆琉球は、薩摩藩と清国のあいだで、微妙な立場にあった
 ☆琉球は、薩摩藩の開国命令に反対し開国は暗礁に乗り上げる
調所広郷プロフィール
 ☆前藩主・島津重豪にその才能を見出されて登用される
 ☆使番・町奉行などを歴任し、藩が琉球や清と行っていた密貿易にも携わる
 ☆薩摩藩家老に出世し、藩の財政・農政・軍制改革に取り組んだ
 ☆斉興の後継を巡る島津斉彬と島津久光による争いがお家騒動に発展
 (調所広郷は、斉興・久光派に与する)
 (調所広郷は、斉彬が藩主になることで再び財政が悪化するのを懸念した)
調所広郷の薩摩藩財政の建て直し
 ☆調所家老に就任時、薩摩藩は500万両の借金を抱えて財政破綻寸前
 ☆調所は、商人を脅迫し借金を無利子で250年の分割払いにする
 (薩摩藩は、200万両の蓄えが出来る程にまで財政が回復した)
 ☆改革の取組みとして、琉球を通じた清との密貿易で利益をあげた
 ☆大島・徳之島などから取れる砂糖を専売制し利益を上げた
調所広郷と薩摩斉彬の争い
 ☆薩摩斉彬は、薩摩藩の密貿易に関する情報を幕府に流す
 (島津斉興、調所広郷らの失脚を図る)
 ☆調所広郷は、斉興と斉彬の権力抗争の矢面に立ち、その憎悪を一身に受けた
 ☆調所広郷、薩摩藩上屋敷芝藩邸で、責任追及が斉興に及ぶのを防いだ服毒自殺
 ☆斉彬派の西郷隆盛や大久保利通が明治維新の立て役者となった
 ☆調所家は徹底的な迫害を受け一家は離散する
第二次大戦後、調所広郷の評価
 ☆明治維新の実現は、薩摩藩の軍事力に負うところが大である
 (薩摩藩の財政を再建した広郷の功績)
 ☆薩摩藩は、高島流砲術採用など軍制改革にも成功している
 ☆調所広郷の財政改革が、現在の日本の近代化が実現したと再評価される
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、NHKBS『英雄達の選択』














調所広郷 (琉球黒船事件)(『英雄達の選択』テレビ画面より画像引用)

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