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明治150年シリーズ「靖国神社と九段下周辺」 

2018年04月23日 外部ブログ記事
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1月から始めた「明治150年シリーズを歩く」の第4回目は、靖国神社・遊就館・しょうけい館見学と九段下周辺を歩きました。
第5回目は、5月20日(日)「明治150年の永田町・赤坂を歩く」です。

アシスタントの二人を含め30人の参加でした。
参加された方の中で世田谷区議会議員のひうち優子さんと、人間魚雷搭乗員だった湯川武弘さん(90歳)を皆さんにご紹介しました。

ひうち優子さんは、リーフレットに「重要なのは歴史であり、先達が困難に直面した際、如何なる方策を用いて事態を打開してきたか、を学び、生かすことが必要です。」と述べておられます。そして「大変勉強になりました。面白かったです。ありがとうございます。一緒に参加した母も喜んでおります。」とコメントしてくれました。


湯川武弘さんは、海軍予科練甲飛13期生です。
山口県光基地から特攻兵として「回天」に搭乗しました。沖縄近海の米艦に向かって発進するため、イ号潜水艦甲板にチェーンで取り付けられた回天に下部ハッチから搭乗しエンジンを回転させ待機していました。
艦長から「1番艇発進」。「2番艇発進」。いよいよ湯川さんが搭乗している3番艇の番になりました。
「3番艇発進」となりましたが、チェーンが外れなく発進できませんでした。他の戦友は全て「特攻死」でした。
基地に戻り、暫く立ってから「第二特攻隊」の志願者募集がありました。
上官から「特攻志願するものは一歩前へ」と号令が出されました。
湯川さんは、頭の中で親兄弟、故郷のことなどが走馬灯のようにグルグルと回りました。
どうしようか、どうしようかと考えましたが、ニッポン男児だと目をつぶって一歩前に進みました。
「第二特攻隊」の出撃直前に「終戦の詔勅」がありましたので、8月17日には除隊となりました。

湯川さんは、戦後の混乱期には「学徒引揚者援護会」幹事、産経新聞記者、「白瀬南極隊を偲ぶ会」事務局長などを歴任しました。
遊就館見学後のスナップ写真。(真ん中の白いシャツ姿が湯川さん)

遊就館内回天一型の前で説明をする湯川さん。

九段坂病院横の遊歩道にある「愛国婦人会発祥之地」碑などを説明。



九段会館解体工事の鋼矢板から「弥助砲」を覗く参加者。

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