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4・17前川喜平さん講演会「憲法とわたし」 

2018年04月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



友人の川口重雄さんからのメールをアップします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
各位    4月19日〔BCC、本日第5信〕
友人からの情報です。
先ほどの文字情報を追っかけて。
川口重雄拝
-----Original Message-----
4月17日にセシオン杉並で行った前川喜平氏の講演の模様を録画してくださっていますのでお知らせします。
550名くらいの会場はいっぱい、ロビーで音声のみ、楽屋でモニターで聞くという人も多数いました。その他300人くらいお帰りいただいたようです。
(私も受け付け要員、楽屋モニター組なのでレディイカカア漫談などはあとから観ました。)
>こちらのサイトから、動画を見ることができます。お時間があるときにぜひご覧ください。
(どちらも同じ内容です)
YouTube
https://youtu.be/tT0BJcxiIWMIWJ
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/418500

Twitterペリスコープ
https://twitter.com/9jouaction/status/986185663283277824?s=21

>前川講演のURLは、上記のとおりですが、その他も切り分けてアップしました。

○主催者あいさつからレテ?ィーかかあ
https://youtu.be/MeIJIR6BbAo

○憲法前文
https://youtu.be/H6Gp9OkqD-4

○行動提起
https://youtu.be/SARthlPgt6A

○民衆の歌
https://youtu.be/5G4Wz6m9KEs

最後の民衆の歌は映像がぐちゃぐちゃですが、まあ雰囲気だけ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
各位   4月19日〔BCC、本日第4信〕
友人からの情報です。
前川氏は語りの達人です。
自らを語りながら1930年代のファシズムを述べ、戦前を清算できなかった戦後責任の問題に及びます。
「公務員」の社会的価値が音を立てて崩れる中で、「公僕」という言葉を思い出しました。
川口重雄拝
-----Original Message-----
Subject: アベを倒そう!(383)<4・17前川喜平さん講演会「憲法とわたし」>
<転送歓迎>
==================================
昨日(4月17日)夜、
東京・杉並のセシオン杉並のホール(定員578名)で、前川喜平さん(前文科省事務次官)の「憲法とわたし」と題する講演会が開かれました。
(主催:前川喜平さん講演会実行委員会)

開場前から多くの人が詰めかけ、開会前にほぼ満員となり、その後来られた沢山の方々には帰っていただきました。
講演の前に、レディカカアさんの愉快な「かっぽうぎまんだん」がありました。
講演では、前川さんは以下のような話をしてくれました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 大学はなんとなく東大の法学部に入ったが、酷い所に来たと思った。
 勉強が全然面白くなかった。ただ憲法だけは勉強した。
 卒業後、なれそうなのは公務員だった。
 金儲けせず、世の中のために人に関わる仕事をしたいと思い、文部省に入った。
 しかし、入って見ると酷かった。楽しい場所ではなかった。
 ただ、憲法をつねに念頭において仕事をしてきた。
 入る時に憲法順守の「宣誓」をさせられるが、99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の 公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と書いてある。
 天皇は守っているが、その後が怪しい。
 15条には「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」と書いてある。けれども「一部の奉仕者」にさせられている。
 これらの条文は大事だ。
 公務員も一人の人間だ。
 13条には「すべて国民は、個人として尊重される。・・」として 基本的人権が保障されている。
 なかでも思想良心の自由、表現の自由が大事だ。
 しかし公務員は厳しく制限されている。
 日本の公務員は制限が厳しすぎると思う。
 本音を言えないからフラストレーションがたまる。
 2015年9月18日の夜、安保法制のとき、国会正門前に行った。
 シールズの若者たちが「憲法守れ!」「アベは辞めろ!」とやっていた。
 また「集団的自衛権は要らない!」とラップにのせてやっていた。
 敬服した。なかなかのものだと思った。
 公務員は憲法で縛られている側だ。
 勝手にそれを緩めることはあってはならない。
 違憲立法だと自分も一言いたいと思った。
 翌年事務次官となった。
 人権の中でも<社会権>が大事だ。
 これは新しい人権だ。20世紀に確立した。
 明文化されたのは「ワイマール憲法」だ。
 そして「日本国憲法」も取り入れた。
 これは人類の努力の成果だ。
 97条には「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって・・」 と書いてある。
 「押し付けられた憲法」などと言う人がいるが、もともと、憲法は日本だけのものではない。
 文部科学審議官のときに海外出張が多かった。
 ユネスコの会議で南アフリカの教育大臣(インド系)と話した。
 「新しい憲法を制定するために世界中の憲法を取り寄せた。
  日本の憲法も参考にした。9条はいい」と言っていた。
 南アフリカの憲法は人類がかちとった最も進んだ憲法と言える。
 (日本国憲法の)26条にある教育権は大事な条文だ。
 しかし実際にはこぼれ落ちている人がいる。
 100万人前後義務教育を受けていない。
 また経済的理由で進学できない人もいる。
 あってはならない。
 それで民主党政権のときに「高校無償化」が出来た。
 今も給付型の奨学金(高校)、給付奨学金(大学)が出来ている。
 ただ後者は進学先を選別しているのでアブナイ。
 従来の制度からこぼれ落ちた人は沢山いる。
 だから夜間中学が作られている。
 ただ、31校のみ(8都府県)。だから増設中だ。
 自分は厚木と福島の夜間中学にボランティアで行っている。
 70代で一度も学校に行かず、鉛筆も持ったことがない人がいた。
 ひらがな、カタカナから、簡単な漢字へと教えた。
 新聞を題材に時事問題なども話した。
 「不可欠」を「可決」の反対だと思っていた。
 しかし「可決」の反対は「否決」だ。
 そうして分かった時、「ああ、そうか〜」と言う。
 その一瞬が大変大切だ。
 また53条で臨時国会を開かなければならないとあるが、
 「やってませんね」と言う。
 「社会権」では、国が動き保障されない人々を救わなければならない。
 しかし「不登校」の子どもたちに対しては、「復帰」を第一にする。
 しかし、休むことや学校外で学ぶことも可にする必要がある。
 子どもが学校に適応できないのではなく画一的な学校が多様な子どもに適応できないのだ。
 この画一的な学校は明教育は以来の物だ。
 洋式軍隊に合わせている。
 クラス分け(班)、ランドセル(背嚢)、学ラン(陸軍)、セーラー服(海軍)運動会(野戦演習)、遠足(行軍)など、人を集団の一部としてみる。
 13条と相矛盾する。
 26条の2項の「義務」は保護者の義務で、子どもの義務ではない。
 2項は全体を変えたい。私の案では(「国民は」ではなく「国は」、「国民」ではなく「人」、として)「国はすべての人に無償の教育の機会を保障する義務を負う」
 としたい。
 自民党の案では3項を付け加えているが、この3項は要らない。
 そこには、「教育が国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担う」と述べてある。これでは国の未来に役立たない教育はやらないとなる。
 危険だ。国家の役に立つ人間だけを育てることになる。
 13条の個人の尊厳と合わせて考えれば、教育は人間の内面に働きかけて独立した人格を作り上げることだ。
 しかし、自民党案では子どもの思想・良心をおかすことになり、一方的な観点を植え付ける調教・洗脳と言える。
 人間を殺人マシーンにもしてしまう。
「道徳教育」をどう考えるか。
 戦前は<教育勅語>があった。
 文明開化が嫌いな元田永孚(もとだながざね)らが起草し、天皇中心の日本人の精神統合を目指した。「家族国家観」だ。
 国民は「天皇の赤子」、つまり子どもとされた。
 そしてこれを「国体思想」と言った。
 1930年代「国体明朝運動」が起き、天皇機関説の美濃部達吉は議員を辞職した。
 1937年には文部省が「国体の本義」「臣民の道」を出した。
 これを戦後、100%清算しなかった。
 残った害虫がその後ゾロゾロ出て来て、増殖してきた。
 それが最近の「日本会議」や「青年会議所」だ。
 ものすごく片寄った教材を出している。
 それに対し「国体思想」をしっかり反省した人もいた。
 高村光太郎もその一人だ。
 彼はそれまで戦争に協力をした。
 負けて自分が愚かだったことに気づき、花巻の田舎に引っ込んだ。
 彼の「典型」と言う詩に、
小屋にいるのは一つの典型、
    一つの愚劣の典型だ。
    三代を貫く特殊国の
    特殊の倫理に鍛えられて、
 と書いた。

 戦後「国体思想」は否定され、個人の尊厳が第一になった。
 価値の逆転だ。しかし、それを経験しなかった人がいる。
 岸信介もその一人だ。
 「道徳の時間」は、1958年の岸内閣の時に作られ、
 それが今教科「道徳」になった。

 1947年の「教育基本法」(1947・3・31)は、日本国憲法の公布(1946・11・3)と施行(1947・5・3)の間に制定された。
 そして、そこには
  「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、
  民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福士に
  貢献しようとする決意を示した。
  この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」
 と述べてある。憲法の三大原則、とくに「平和主義」を学ぶことがベースでなければならない。

 「ユネスコ憲章」では「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」と述べてある。
 また、戦争は「無知」が引き起こすとも述べている。
 だから戦争を防ぐためには、まず知り合う事が大事だ。

 その上で「歴史」を学ぶことが大事だ。
 「歴史は繰り返す」とも言われる。
 いまの状況は1920年代から30年代の境目当たりだ。
 これが30〜40年代に向かって行かないようにしなければならない。
 100年の時を越え同じことを繰り返さないように。

 新しい『歴史総合』は大事になる。
 ドイツの歴史と日本の歴史を重ね合わせて学ぶことが大事だ。
 民主的な憲法(ワイマール憲法)からナチスが生まれてきた。
 民主主義が独裁を生む。
 日本もいつそうならないとは限らない。
 学ぶことが大事だ。

 まず、今の憲法を学ぶ事。改憲する前に。
 改憲の前なら集団的自衛権容認の違憲状態を是正することが出来る。
 しかし改憲すれば元に戻すのは極めて困難になる。
 だから改憲は危険だ。
 しかもその後に来るだろう自民党の改憲草案は非常にアブナイ。
 今、しっかりと改憲を阻むことをしないと、
 21世紀をしっかりと我々の子孫に残すことはできない。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
なお、前川さんは話しの冒頭、最近の官僚、佐川、柳瀬、(+福田)氏らについて触れ、気の毒、あの人たちは弱いだけだ」とも述べました。
そう、弱い人間が不正やいじめに手を染めるのだと思います。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
<参考>「典型」(高村光太郎)

  今日も愚直な雪がふり
    小屋はつんぼのように黙りこむ。
    小屋にいるのは一つの典型、
    一つの愚劣の典型だ。
    三代を貫く特殊国の
    特殊の倫理に鍛えられて、
    内に反逆の鷲の翼を抱きながら
    いたましい強引の爪をといで
    みづから風切の自力をへし折り、
    六十年の鉄の網に蓋われて、
    端座粛服、
    まことをつくして唯一つの倫理に生きた
    降りやまぬ雪のように愚直な生きもの。
    今放たれて翼を伸ばし、
    かなしいおのれの真実を見て、
    三列の羽さえ失い、
    眼に暗緑の盲点をちらつかせ、
    四方の壁の崩れた廃墟に
    それでも静かに息をして
    ただ前方の広漠に向かうという
    そういう一つの愚劣の典型。
    典型を容れる山の小屋、
    小屋を埋める愚直な雪、
    雪は降らねばならぬように降り、
    一切をかぶせて降りにふる。

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(このメールはご迷惑を承知で多くの方々に発信します。
ご迷惑な方は止めますのでご連絡ください。)
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ウィキペディア「前川喜平」より

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