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平成の虚無僧一路の日記

「広辞苑」の誤り 見っけ その2 

2018年03月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



ネットで「虚無僧、普化宗」を検索するとデタラメなことばかり。
その出典は「広辞苑」でした。最新の第7班でも
P.1070 「虚無僧」に
禅宗の一派の普化宗の僧。尺八を吹き喜捨を請いながら諸国を行脚
修行した有髪の僧。江戸時代、罪を犯した武士は普化宗の僧となれば、
刑をまぬがれ保護された。多く小袖に袈裟を掛け、深編笠を被り
刀を帯した」とあります。
一体何を根拠に書いたのか。ちょっと調べれば判ることを、勝手な
推測で書いたとしか思えません。
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まず、「普化宗」というのは虚無僧達が勝手に自称しているだけで、
正規の仏教の法系では存在しません。
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次に「江戸時代、罪を犯した武士は普化宗の僧となれば、刑を
まぬがれ保護された」なんてとんでもない。そんな幕府のお定め書き
などありません。虚無僧が自作した『掟書き』にも、「咎人一切隠し置き
申すまじく候。その罪後日に表れ候共、早速縄を懸け、時を移さず
(役所へ)言上申すべき事」とあります。
ただ、人を殺めて、隠れ蓑として虚無僧に紛れ込んだ者が、討ち手も
仇を探すために虚無僧になっていて、鉢合わせし、果し合いの末
討たれたという話はありました。ですから、罪が許される
ということはありません。虚無僧になって仇を探したという
例は数件あります。
「刀を帯していた」というのは、浪人が虚無僧となった元禄の頃までで、
それ以降は帯刀は禁止されており、腰に指しているのは替えの尺八です。
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