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平成の虚無僧一路の日記

「広辞苑」の誤り見っけ その1 

2018年03月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



ネットで「普化宗は、東福寺の僧覚心が伝えた」とありますが、
その出所は「広辞苑」でした。
法燈国師覚心は「高野山の僧」で「東福寺の僧」ではありません。
覚心は、東大寺で得度授戒し、高野山で退耕行勇に禅を学び、
東福寺の開山聖一国師円爾から渡宋の話を聞いて、宋ら行く決心を
します。ですから東福寺の円爾に一時師事したこともあったのでしょうが、
覚心を東福寺の僧とするのは疑問です。
たぶん、現在、明暗教会が東福寺の塔頭善慧院に置かれていることからの
早とちりでしょう。明暗寺が東福寺と関係をもつのは明治になってからです。
?
他の国語辞典では、「臨済宗の僧覚心が、紀州由良の西方寺を興国寺と
改め、禅寺にした」というのもありました。
西方寺は高野山真言密教の寺でしたが、それが禅宗の興国寺となるのは
南北朝時代、孤峰覚明の時です。

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