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平成の虚無僧一路の日記

嘘も方便 

2018年03月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「一休とんち話」の中の「水飴の話」や「屏風の虎」は、大人の嘘を見破る一休さんに、“してやったり”と拍手する庶民の“心いき”なのだ。「お釈迦様は絶対嘘をつかなかった」お釈迦様は、「地獄・極楽など見てきたわけではないので、あるか無いか、私は知らない。あるかもしれない、無いのかもしれない。それは心の内。そんなことにあれこれと心惑わすより、今をより良く生きればいいではないか」と説いた・・・・・はずだ。私も聞いたわけではない。原始仏教ではそう云っている。ところが釈迦滅後 500年から1000年も経て、様々な人が「如是我聞(ニョゼガモン)=私は是のように聞いた」と、いろいろ言い出した。それが何万巻もの経典となった。様々な宗派が生まれた。お釈迦様は1文字も書き残していないのにである。「法華経」こそお釈迦様の説かれた真実の教えと信ずる宗派は、「他のお経は、嘘、間違いだった」とは云えないので、「お釈迦様は“嘘も方便”として説かれたのだ」と苦しい言い訳をいう。“嘘も方便”とは便利な用語だ。そんな嘘を庶民は、一休に名を借りてコケにしているのだ。

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