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平成の虚無僧一路の日記

蘆庵と一休 

2018年03月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



今から600年昔の室町時代、明国に滅ぼされた南宋から多くの難民が日本に渡来してきた。その中に洞簫尺八を吹く魯安(ロアン)という人がいた。日本に来ても言葉が通じない。職はない。路傍に薦(こも)を敷いて座わり、物乞いをしていると、一休が通りかかって、その風貌に足を止めた。一休が、路傍の薦(こも=乞食)に話しかける。「ただ座って物を乞うだけではいかんぜよ。何かひとつでもとりえはないか?」と問うと、その薦は、なにやら話し、短い竹の笛(一節切り尺八)を取り出して吹いた。「おぉそれそれ、それよ。おまえの言葉は通じないが、その尺八の音は、人の心に響く。人々の心の中にある仏性を呼び覚まし、鬼神をも泣かす力がある。それさえあれば、全国どこへ行っても生きていけるだろう」と。こうして薦(こも)の上に座って物乞いするだけの薦が、尺八を吹いて薦僧(こもそう)となり、後に虚無僧と呼ばれるようになった。その薦は、宇治川辺に草庵を建てて移り住み、庵の名を吸江庵、(きゅうこうあん)。中国名が魯安(ろあん)、日本名を朗庵一路と名乗り、一休の尺八の友となった。私はその吸江庵一路の生まれ変わりなのじゃ。ハックション。この話はハックション、じゃないフィクションです。

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