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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧の元祖?ロアン 

2018年03月21日 外部ブログ記事
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『宇治の庵主朗庵の図』というのがある。明らかに異人(中国人)の服装だ。リールのついた釣竿を腰につけ、手には長い尺八を持っている。その絵の上に次のようなことが書かれてある。 吾れ、関東の鎌倉に行き、建長寺に逗留した折り、 画僧の祥啓が「珍しい様相だ」といって、自分の姿を 絵に写してくれ、さらに「思うところを記せ」と勧め られたので、次の詩を書いた。 龍頭を切断してより之後 尺八寸中古今に通ず 吹き出だす無常心の一曲 三千里の外知音稀なりこの詩は『体源抄』に一休の作として載っているのと類似している。「宇治の庵主朗庵」は、「魯庵、露安」とも書かれる。また、江戸時代になると「一休の尺八の友 一路」とも、「京都明暗寺の開祖・虚竹」とも言われている。江戸時代の半ば、宇治の万福寺の子院として「吸江庵」が再建されている。初代黒澤琴古は「吸江庵の龍安子から『志図曲・京鈴慕・琴三虚霊』の三曲を伝授されたと、『琴古手帳』に書き記している。「龍安」も「ローアン」で「朗庵、蘆庵、露安」と同音になる。吸江庵の主は代々「ローアン」を名乗っていたのだろうか。

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