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平成の虚無僧一路の日記

海童道祖のこと つづき 

2018年02月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



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?海童道に直接会った人はほとんどいない。全く謎の存在だった。私が海童道を知ったのは、NHK・FMで放送されたのを聞いてだ。その時すでにレコードが出、そのレコードがテレビ、ラジオで使われ始めていた。「イレブンPM」という深夜の多少エッチな番組で、ストリップダンサーが裸でくねくね身をくねらせて踊るバックに『産安』が流れたりしていた。私が始めて海童道を見たのは、テレビでたまたま見たロックのコンサートだった。信濃川の河川敷で3万人の若者を集めて行われたロックの祭典。まだモノクロのフィルム映像だった。ロックの強烈なビートに酔いしれる会場が、突然静まった。太い孟宗竹を抱えて登場した海童道祖が、その竹に息を入れた瞬間だった。今まで聞いたことのない竹の響きに3万人の聴衆が息を呑み、固まったのだ。一息で3万人を黙らせる。それこそ神のごとき業だった。以来、私は海童道のとりこになったが、以来、海童道祖は、公共の場には決して姿を現さなくなった。住所を調べても一向にわからない。後で知ったのだが、なんと私の家から歩いてもいける所に住んでいたのだった。灯台元暗しであった。これも縁がなかったのだろう。もし家を訪ねたとしても、まず会ってはいただけない。毎日毎日、日参して、本当に習いたい!、一生続けるという意思を示さなければ、弟子にはしてもらえないとのこと。結局、海童道の弟子は横山勝也氏一人しかいないのだ。私など到底ダメだったろう。とにかく奇行が多い。学生三曲で「海童道を聴く会」を開催し、チケットは完売したが、当日、海童道は現れなかった。ドタキャンだ。そんな話は他でもたくさんある。フランスのTV局が招聘したが、法竹(尺八)は一曲も吹かず、おならを自由自在に鳴らしてみせただけ。おかげでそのディレクターがクビになったとか。これぞまさに普化の再来なのだ。

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