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平成の虚無僧一路の日記

安政大地震と老中阿部正弘 

2011年04月28日 外部ブログ記事
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ペリーが来たのが嘉永6年(1653)。「たった四はいで夜も眠れず」
天地ひっくり返る騒ぎで、政情不安。そこで「安泰な政治を願って」と
翌年「安政」と改元された。ところが ところが、「安政」とは名ばかり、
「安政」年間は「安政の大地震」に「安政の大獄」と大変な時代だった。

それを取り仕切ったのが、老中「阿部正弘」。25才で「老中」に
なったのだからすごい。内憂外患の国難の中、彼の政治家としての
評価は、まっぷたつに分かれている。

「ペリーの要求にも のらりくらり、時間稼ぎで、決断を後回しに
した。列藩諸侯に広く意見を求めたため、かえって百家争鳴。
尊皇攘夷の過激派を台頭させ、徳川幕府の滅亡を早めた」というのが
大方の評価だ。

だが、あの時代、水戸の徳川斉昭を筆頭に、幕閣の要人も列藩諸侯も、
草莽の士もおしなべて「攘夷、攘夷」一辺倒だった。世論が「攘夷」に
沸く中、「外国と戦っても、とても勝ち目がない」という冷静な判断に
基づき、戦いを避けることに粉骨砕身した その見識と信念は評価すべき
ものがある。水戸の斉昭を懐柔するための、あの手この手、水面下の
裏取引など、なかなかのものだ。


平成の未曾有の大震災。復興に向けて、日本人の心はひとつに
なりかけているのに、民主党だけが仲間割れして、足の引っ張り
合いをしている。孤立化する「あら菅首相」。安政の「阿部正弘」と
比較して見てしまう。総理が「阿部真三」だったら、同姓で、
もっと面白いかったかも?。


註:「あら環」=アラフォーが40歳前後に対して、「アラかん」は
  「還暦(60歳)前後」。菅直人君を「空き菅」とも人は言う。

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