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平成の虚無僧一路の日記

儒学者のたしなみだった「琴」 

2011年04月22日 外部ブログ記事
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作『秋思の詩』

 丞相 年を度(わた)って 幾ばくか 楽思(らくし)せる
 今宵 物に觸れて 自然に悲しむ
 聲は 寒き 絡緯(らくい) 風の吹く處
 葉の落つる梧桐 雨の打つ時
 君は 春秋に富み 臣は 漸く老いたり
 恩は 涯岸(がいがん)無くして 報ゆる猶 遲し
 知らず 此の意 何が安慰せん
 酒を飲み 琴を聽き 又詩を詠ず

私の好きな詩だ。この最後の「酒を飲み 琴を聽き」を
「琴を弾じ」と覚えていた。「琴を聴く」というのだから、
誰かが琴を弾いて、道真に聞かせたのだ。琴を弾いたのは
誰だろう。美しい女性を想像したくなるが、ここでいう
「琴」は、我々が今日 目にする 13絃の「箏」ではない。
「7絃の琴(キン)」のことだ。

「琴(きん)」は「瑟(ひつ)」とともに『詩経』にも見られる
古い弦楽器で、孔子やその門人たちが 好んで奏でていた。

孔子は諸国漫遊の折にも 琴を携えており、「詩に興り、
禮に立ち、樂に成る」(『論語』泰伯第八)と説いた。
「学者の進むべき道として、詩を学び、禮を学び、その後に
音楽を学んで、初めて“ 徳 ”を 成就することができる」と
言うのだ。

陶淵明は、琴を奏でるのが苦手だったか、「無弦の琴」を
愛蔵して、酒に酔うとこれを奏でるかのように玩んだという。

このような琴の流行は、中国では南北朝時代に最高潮になり、
やがて衰退するが、日本では、江戸時代になって朱子学の
興隆とともに、儒学者の間で、文人の嗜(たしな)むべき
随一の楽器とされていたのだ。

実は、私の先祖に「琴の名人」がいた。「武」一点張りの
会津藩で「お琴とは軟弱」と、長い間、思っていたのだが、
牧原直亮は「半陶」と号する儒学者だった。江戸「昌平校」に
学び、その講師も勤めていたようだ。「半陶」とは「陶淵明の
半分にも及ばす」と謙遜しての号だった。

儒学者たちが弾いた「七絃の琴」。その現物も曲も楽譜も
現代では途絶えてしまっている。ザンネン

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