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平成の虚無僧一路の日記

「いわき」と「松代」の意外な接点 

2011年04月22日 外部ブログ記事
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『八橋検校十三の謎』(釣谷真弓著) と言う本が出た。2,100円。
読んでいないが、ネットで、一部が紹介されていた。

「八橋流は、磐城平藩3代目藩主、内藤風虎(当時は若殿)の弟
「遠山政亮」と真田家の婚姻を きっかけに、松代藩へ伝えられた。

「2代目お通」と「八橋検校」の接点は、「真田信政」の娘が
岩城平藩の「内藤風虎」の弟で、分家の湯長谷藩の初代藩主
「遠山政亮(又は頼直)」と結婚した所にあるようです。

「2代目お通」は「真田信政」の側室で、その子「真田信就」
は、真田家の分家「勘解由家」の初代となっている。つまり、
「真田信政」の正室?が生んだ娘が、岩城に嫁いだ。

嫁ぎ先は、「八橋検校」のパトロンだった岩城平藩主の「内藤風虎」の
弟「遠山政亮」だったという。

ややこしい。ずいぶんと よく 探り当てたもんだ。それで、「2代目
お通」が京都にいた時、内藤家との縁で、八橋検校と交際があった。
そしてその後、「真田信就」が信州へ入った時に持ち込まれた
可能性が高いと思われます・・・というのだが、チョッと待って。

「八橋検校」が、再度、京に上り「八橋検校」を名乗るのは
1639年〈寛永16年)以降。(それまでは「山住勾当」[上永検校」と
称していた)。1639年、2代目お通は、すでに52歳。
「真田信就」が松代に転封となるのは、1622年。

この説は、年代的に整合性がない。ザンネン。

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