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入院レポート 

2017年12月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



今回の入院は休養目的だが、一番の目的は、夫に施設利用を体験してもらう為だった。

18日月曜日、10時半前に一人で荷物を持ってタクシー呼んで入院。この病院に4回目かな。
夫は前日から、ショートステイに行っているので、一人で戸締りをした。

気がついたら、ipadを忘れてきた。肝心の物語の本も忘れた。
テレビは嫌いだから、病院では絶対見ない。でも退屈。
22日金曜になれば、息子が夫をペースメーカーの検診に病院へ連れて行ってから家に寄って、私にipadと本を持ってきてくれるのでそれまでの退屈は我慢我慢!

あいにく風邪ひきで頭痛のど痛、鼻水は鬱陶しい。
めまいの発作が続いて、語りの稽古は3話でやめた。

久々にラジオを聴く。週の前半なぜか昼間の番組は面白くない。ラジオ深夜便だけ目覚めた時に聴いた。
週の後半になったら、なんとなく昼間のラジオも聴けるものがあった。

2日目には、膝のレントゲンを撮って、火曜日の整形の先生の意見も聞かせていただいた。
土曜日の整形の先生と同じ、「今からやれる事は関節置換術以外にはないし、そこまでしなくてもなんとかなるだろう。年相応の変形です」大人しく膝と付き合いなさいと。納得。

県から歯科医師会への依頼でと、院内の歯科の先生と歯科衛生士さんがきてくれた。
私は歯磨き歯ブラシ、歯間ブラシも2種類、入れ歯安定剤と洗浄剤。全て持参していて、口の中も普通に綺麗で、褒められた。陰の方の磨き方を習い、隙間用歯ブラシと、入れ歯用ブラシを頂いた。

はじめの3日間は、点滴があって、済んでから針が、細すぎる血管壁に当たって痛むけれど翌日も使うものなので抜いてもらえなかった。
ところが翌日になるとその針からは点滴が入らず、結局刺し直し。3回の点滴に4本の針をダメにした。4日目から点滴がいらなくなって腕の痛みから解放され、目眩も収まったが、風邪の頭痛などは5日目の朝まで続いた。

4日目からリハビリ開始。
初めて会ったリハビリの先生が素晴らしかった。今まで受けられなかった的確な助言がどっさり。
膝関節が故障しているなら、その周囲の筋肉を鍛えれば良い。積極的に歩く訓練をしようと言われる。階段もだって。

確かに、右肩腱板が完全に切れて、右上腕が全く動かなかったとき、半年のリハビリで、筋肉がしっかりして、万歳ができるようになったのは、3ヶ月前の事だった。

膝関節がダメでも、周囲のすべての筋肉を鍛えれば、関節を支えながら歩けるようになるはずなのだ。これも納得。

私の歩き方の欠点を具体的に説明し、改善法を教えながら歩かせてくださる。
内股でチョコチョコ歩く癖を、つま先をやや外に向けて、骨盤でなるべく大股に歩き、かかとから着地してつま先で蹴りなさいと。
今まで、痛まないようにそ〜っと歩いていたが、大股にしたほうがむしろ痛まないのだった。
慣れないので爪先がとかく内向きになってしまう。意識を集中して歩くとまだぎごちない。
それでも徐々にコツが掴めてきた。
よっしゃ!目標は一人で都内に出かけること。頑張ろう。

土日はリハビリはないから、木金と、退院する月曜朝までしかこの先生からは教われない。
だから必死で言うことを聞く。
身体に呑み込ませるためトイレに行くにもカートは使わず、外股で腕を振って歩くようになった。

退院後も水曜日だけこの病院のリハビリに通うつもりになったら、この先生は病室だけの担当だとのこと。がっかり。

以前この病院のリハビリに通ったことがあるけれど、当時1.6キロ歩いて病院に行って、マッサージはほとんどなしで、ただ歩行器で歩かされて、姿勢以外は教えられなかったので、疲れすぎて通えなくなったと話したら、「そういうことははっきり言って、要望を通した方がいい、紹介するから」とリハビリ室に連れて行ってくれた。担当は、以前相性の悪かった先生ではないようだったので、「週一回通えるかどうかわかりませんが来てみます」ということにした。


22日(金)息子はショートステイの施設に父親を迎えに行って、去年ペースメーカーを入れ替えた病院に検診に行き、そのまま施設に戻らせないで、家にちょっと寄って、私の病院に夫を連れてきたのでびっくりした。ここから、タクシーで施設に連れて帰る由。
送っていく息子は、駅に遠い施設から一人で帰らなければならない。

夫は施設が気に入らず2日間は帰ると騒いだけれど、その後は納得していたそうで、でも家が良いという。水曜日に帰るのを楽しみにしていると。

家が良いのは当たり前だけれど、私がまた介護疲れでダウンすれば、ショートステイを繰り返すことになる。
家で私をこき使わないで、デイサービスにも時々は行ってくれないと、共倒れになるんですけどね。



大部屋は6人のはずだけど、角部屋は4床だ。
一つ空いていた隣のベッドにとてもワガママなおばあちゃんが緊急入院してきた。
そこへ、ケアマネさんが駆けつけてきた。なんとうちの夫のケアマネさんだった。窓際の二人は彼女の担当だったのだ。ケアマネさんは忙しいようで、家に荷物を取りに行っていたおばあちゃんの ご家族には会わずに帰った。

その入院したばかりのおばあちゃん、窓際のベッドなので日が当たって暑いと、窓の分厚いカーテンを勝手に閉めて部屋を暗くしてしまったから、もう一人の窓際のおばあちゃん(102歳)が、「開けて!あけて、」と大声で騒ぎ出した。耳の聞こえない二人がかみ合わない言葉で喚いているので、出て行って「半分開けましょうね。お顔には日が当たらないから」と私が半分開けた。「開けて」と叫んでいたおばあちゃんは納得したが、全部閉めたいおばあちゃんは納得せず。トイレに行ったまま戻ってこない。見に行ったら廊下にしゃがみこんでいた。
「窓のカーテンをを閉めちゃダメだなんて!」まだカンカンに怒っている。看護士さんたちが飛んできて車椅子で他へ連れて行って、日が沈まないうちに戻ってきたので、「私とベッドの位置を交換したらいいでしょう。ここなら暑くないから」と提案。喧嘩を続けられてはたまらないから。

結局そうしないと窓際の二人が大声で喧嘩し続けるから、ベッドを移動。「寝たままでいいですよ」って言われても、寝たままベッドを動かされたら目眩が再発しそうだから、私は降りた。
今のベッドは移動が簡単。但し荷物も全部入れ替え。折りたたみハサミが行方不明になって困っている。

何はともあれ、皆さん認知症が始まっているから、ちゃんとした会話は成り立たない。
私はだれかに語りを聞いてもらいたくてうずうずしてるのに、チャンスがない。

一回だけデイルームで、胃がんを切ったというおじいさんに、点滴の間、「こじきのくれた手ぬぐい」を聞いてもらった。

デイルームで文庫本を借りてきたら、面白すぎて夢中になり、民話を覚える暇がなくなった。「 まほろ駅前多田便利軒・三浦しをん」急いで斜め読みしている。


22日の夜が問題だった。私とベッドの位置を交換したおばあちゃんが、夜中に3度大騒ぎをした。

肺に水が溜まっているそうで、「酸素吸入がつながっているから苦しいんだ」という思い込みが激しくて、はずせと喚き続ける。苦しいのはそのせいじゃないからと、外してもらえないから延々と騒ぎ立てた。何人もの看護師さんでなだめてお医者さんも飛んできて、異様な声で吠え続けるおばあちゃんを落ち着かせるのに時間がかかった。
耳が遠いから声が大きい。
酸素吸入が嫌なら外してあげてほしいな。昔はそんなもの無かったのだから。管に繋がれるのが嫌なら本人の意思を尊重してほしいと私は思う。認知症のせいで誤解しているのだとしても。
夜中にあと2回、ナースコールを押して、噛み合わない主張で騒いだ。うるさ過ぎ。

6日目、私は微熱が続く。妙な寝汗。昨夜の隣のベッドの騒ぎによる寝不足も祟っている。
ベッドをなんとかしますと朝は言われたが、空きベッドがないらしい。
騒ぐおばあちゃんを個室に移すこともできないらしい。差額ベッド代は高額だから。
今夜は静かにしてほしいが、朝から度々ナースコールを押して騒いでいる。

文庫本「まほろ駅前多田便利軒」一気に読みきる。直木賞受賞作だそうな。
小説は滅多に読まないが、これは、場面が映像になって見えてきて、息もつかせず読み切ってしまった。

私の周辺には居ない風変わりな人間達が、不思議な絡まり合いをする、周囲には殺人事件も麻薬事件もあるし、娼婦たちやヤクザまで登場する。けれども大半が妙にまともで優しい人たち。
現実世界で、私が出会うことは決してない人種ばかりだからおもしろいのだろうか?

映画のような小説。映画化されただろうなあ?読むだけで景色が浮かぶもの。映画にはぴったりだ。
表紙カバーのイケメン二人が気になる。誰なの?私の印象とは少し違うので。
便利屋はこんなかもしれないが、行天の印象はちょっと違うなあ。
(息子に聞いたら、瑛太と松田龍平で、映画化されて居るそうだ。松田龍平ね、そうなんだ。陰のある不思議な男をどう表現したのかなあ。見たくなった。

23日、土曜の祭日なのでリハビリはないし、自主トレのつもりで、廊下の端から端まで歩いてお茶を汲んできたけれど、それ以上歩きたくない。やたら疲れる。

それでベッドに寝て居たら息子から電話。
「お父さんが施設で問題を起こしちゃって、これから家に帰されるので、俺は5時までに実家に行くことになった。月曜の朝まで実家にいてそのまま出勤する。母さんがお昼に退院するまで一人でいてもらう」という連絡に、現実に引き戻された。
月曜日息子は出勤だし、土日は、二人のサッカー少女の付き添いもある。なるべく負担をかけないように、ショートステイを体験してもらいたかったのに、この作戦はあえなく失敗に終わわった!! 大ショック!

さあこれからどうなることやら。
退院したら、二人のケアマネさんによく相談しなきゃならない。しんどいこっちゃ。

老老介護はもう無理なんだけどな〜。
私は86歳の足弱で、スーパーおばあちゃんにはなれないんだけどな〜。

夕方息子と夫から電話。家に帰れて夫はやたら上機嫌!妻や息子のの苦労も知らないで気楽なもんです。
家にいたいなら、リハトレに一緒に通おう。ゴロゴロ寝てばかりいて、寝たきりになったら私は介護できないんだから。

隣のベッドのおばあちゃん、今晩は静かに寝かせてくれるかな???


24日日曜。
昨夜消灯前、隣は騒がしかったが、夜中は大声は聞こえず、二日分眠れた感じ。

7時に目覚めたら窓際のお隣から「おはよう」と声がかかったので、挨拶して話の糸口を探す。
なんと「百三」え!?
ヘルパーさんがお茶を持ってきて「102歳だよ。すごいね〜」もうびっくり。
「歩けて羨ましい」
「だって私まだ86だもの、おばあちゃんだって80代は歩けたでしょ」
「車」運転する仕草。80代は車の運転をしていたと。交通不便なこの辺りでは普通のことだろう。
歩けないし耳は遠い。コミュニケーションは取りにくいけど、お話聞きたいものだ。
「孫6人ひ孫・・・」聞き取れなかった。
「孫は鎌倉。一人エジプト」エジプトにも誰か行ってらっしゃる様子。
「一人暮らし」え?まさか?

ケアマネさんがウチと一緒だし、お見舞いに見えるお孫さんが、ケアマネさんと同じところにお勤めだから、おばあちゃんとどの程度お話できるか聞いてみよう。と言っても私は明日退院だ。
もう5年早く知り合いたかった。

朝食後、これを書いていたら、ipad を指差して「テレビ」って102歳から声がかかった。ヘルパーさんが、「あ、タブレットね」

そこで隣に座って iPadのアルバムを見せた。富士見市のコスモスや三芳の資料館の茅葺き民家。
夜語りの衣装を着けた私は「似てる」・・・どうしても本人とはわかってもらえなかった。笑!


息子から電話で、父親の便秘が厄介なことになっているという。
施設に一週間行っただけで、いろんな弊害が出た模様。
今朝はタクシーで1キロあまり先の温泉に連れて行ったそうな。

ショートステイに一週間居るのが無理では、老人ホームは考えられない。
よぼよぼの人しかいない施設で世話されるのは、中途半端に元気な人には「沽券にかかわる」問題なのだろう。

「当分施設のことは禁句。俺が半分実家で仕事するしかないな」
でも息子の負担を増せば、中1と小2の孫にしわ寄せがいく。娘たちの付き添いで、しばしばサッカー試合などに出歩いて居るのだから、土日は必ず帰宅してもらわなきゃ。
ネット環境さえあればどこでも仕事ができる立場だとはいえ、介護しながらの仕事は楽じゃない。

気楽な入院の筈が気の重い事態になった。なんだか疲れて、高校生駅伝のラジオの半分は眠っていた。

午後、息子と夫が、「焼肉食ってきたところ」とちょっとだけ寄ってくれた。
夫はご機嫌、気楽なもんだ。
ああ、焼肉が食べたい!

二人が帰ってから先のことをつらつら考える。私は歩く練習をして居るが、立って居ることはかなり無理だ。腰椎五つ全部に問題があるから。
料理の手際も悪くなったので、たった二人分の食事作りにまごまご探し物ばかりして、1時間近くかかったりする。料理にハイチェアは使いにくい。

今日はキッチンに立ちたくないと感じる日は無理を避けよう。雨でなかったら、三輪車でちょこっとコンビニ弁当を買いに行くことにする。
雨ならご飯だけ炊いて、生協の冷凍ものをチンしよう。
これなら生野菜のサラダだけ 作れば済む。ヒジキとか切り干し大根とか、煮物を作り置いて、漬物を準備して置いて、出来合いのお弁当に足せば済むことだ。

配達の料理は色々試して、どれも口に合わなかった。夫はコンビニ弁当なら口に合うらしい。私は食べたことがないが、お米も美味しいそうだ。

主婦をサボる宣言をしよう。 こうすれば、息子に度々きてもらわなくても済む。
洗濯干しは、途中で休憩すればできるし、掃除はヘルパーさんの来ない日も、息子が時々水回りをしてくれるから、床ぐらいははなんとかなる。

夫が家から出かけないのなら、これぐらいの方便は使わないと、こっちの身がもたない。
ショートステイという今回の作戦がついえたから、次の作戦は先ずこんなところだろう。



25日(月)
朝からまほろ駅前・・・の2度読みに夢中になって薬を忘れる。

102歳さんからメモが届いた。
「読書家ですね。頭がいいんでせう。感心します」
そこでまたipadの画像を見せたら、英語でサンキューと書かれてびっくりした。
戦争中はどこにお住まいでしたか?と書いたら「四国トクシマいなかっぺ」とのお返事。またお顔を見に来よう。

本を返してきて帰り仕度。
戸棚をからにする。
息子は夫の昼ごはんの支度をしてから出勤すると電話をくれた。

帰り支度で着替えてから、リハビリの先生について廊下を歩き、土日の練習の成果を認められた。自分でも外股で骨盤を意識して歩くことに徐々に慣れてきた。階段を三階に上がって一休み。色々注意を受けて、階段を降りて戻る。この先生に会えてラッキだった。

年明けから、先生は違うけれど、水曜だけ病院のリハビリに通う予定。これで月水金指導付きの運動ができて、間の日の自主トレもできるというものだ。もともと猫背でもないし、腰も曲がっていないから、期待が持てる。
腰痛も良くなれば料理も苦にならなくなる筈。それまでは適当にやること。無理は禁物。

こうして一週間の入院は終了した。一人でタクシー呼んで帰る。
帰宅すれば、夫の世話が待って居る。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


病院のタクシー電話が、混み合って居るので後でかけてくれと全く繋がらない、駅まで歩いてやっと乗れた。タクシーは大忙しの日なのだそうだ。
夫は玄関で30分待っていたと。
リビングは16度の冷房になっていた。
息子がセットしていった炊飯器は電源を引き抜いてあってお米のまま。
パックのご飯を温めて、息子が作っていった麻婆豆腐を温める。なかなか座れなかった。
日常に戻ったのです。ふう〜

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