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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧一路と 東洋一の茶園「牧之原台地」 

2017年12月19日 外部ブログ記事
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明治元年(1868)徳川幕府は壊滅し、徳川慶喜は静岡へ。それに伴い
旗本、ご家人の多くも静岡へ移住し、殖産事業として牧之原台地の開墾
を手掛けます。しかし慣れない士族の農業は失敗に終わります。その後も
農民たちによって茶畑の開墾が進み、「東洋一の茶園」となります。

?私が、慶応中等部を受験した時、社会の入試問題に「東洋一の茶園はどこか」
という問題が出、心中で「ヤッター」と感動しました。
「牧の原台地」と答えられる人は、今でも何人おられることでしょう。
もう一問は「会津若松に行くには何線に乗るか」という問題。当時は
東北本線で郡山で磐越西線に乗り換えでした。これも毎年会津の祖父母の
家に遊びにいっていましたので、正解。社会は ほぼ満点で、見事
53倍の難関を突破して慶応に入学できました。すべて「運」。
その「運」を呼び寄せる努力は必要と、子供の頃から思っていました。
?
その後、東名高速道路の「牧の原SA」もできたことから、牧の原の名は
知られるようになり、2006年「牧之原市」ができました。静岡空港もできます。
私(牧原)が その市長になるには、歳が行きすぎました。もう70です。
?

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