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後継なき習近平体制(林彪事件) 

2017年10月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



後継なき習近平体制2期目のスタート

習近平は、後継者となる次世代リーダーを確定させずに政権2期目をスタートさせた
 ☆中国の歴史では「林彪事件」以降の数年間にも後継者不在の状況が続いた
 ☆林彪・党副主席は、党規約に自分自身の名前が明記された別格扱いの指導者だった
 ☆「林彪・事件」後に除名処分を受け「幻の後継者」となった
「林彪事件」(毛沢東の掣肘により林彪逃亡)
 ☆毛沢東暗殺のクーデター計画に失敗した林彪が空路ソ連への逃亡を図る
毛沢東のマネジメント術は分割統治
 ☆毛沢東、後継者育成には失敗
習近平の3選問題
 ☆習思想が唱える「習近平新時代の中国の特色ある社会主義」の達成度次第
 ☆「強大な中国の建設」が順調に進めば2022年に後進に譲る?
 ☆党内に習思想が浸透していなければ3選に踏み切る公算が強くなる
 ☆現段階で権力集中を強める習近平政権に、国内での死角は見当たらない
 ☆しかし、中国の政局は大きく揺れ動く可能性があることを46年前の林彪事件は教えている
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、日経BizGate


後継なき習近平体制(林彪事件)(日経BizGate記事より画像引用)

「林彪事件」(毛沢東の掣肘により林彪逃亡)
毛沢東暗殺のクーデター計画に失敗した林彪が空路ソ連への逃亡を図る
モンゴル領内で墜落死したとされる事件
第9回共産党大会で、毛沢東の後継者と規約に盛り込まれたばかりだった
第9回党大会は軍人が大量に政治進出した大会として知られている。
政治局員には林彪の妻や、4人の直系将軍など林彪派で過半数を占めた
毛沢東の政治秘書で著作代筆も手掛けた人も林彪に急接近した
これらが毛沢東の警戒心をあおった

毛沢東のマネジメント術は分割統治
部下たちを競わせ、2派のバランスに立つことでトップの座を不動のものにしてきた
ナンバー2を巡っては劉少奇と東北行政委員会主席の高崗と競わせた
文革では、林彪を利用して北京中心に政治、経済、党人事を握る劉少奇派を一掃した
今度は林彪が強大になりすぎたわけだ
林彪に対して毛沢東は、林彪の周囲の腹心らをひとりひとり失脚させた

毛沢東、後継者育成には失敗
林彪の子息が立案したといわれている「毛沢東暗殺計画」
内容がずさんすぎて実現はとうてい不可能だ
プロ軍人である林彪が関与してしてとは考えられない
毛沢東にとっても林彪の墜落死は想像外だったようだ
林彪事件を境に、毛沢東像は崩れ、威信は急速に低下していく
林彪事件は「高齢化した毛沢東の権力への執着と疑心が原因」

林彪事件以後の後継者選びは迷走失敗した
39歳の王洪文を副主席に抜てきするが、経験不足、能力不足を露呈してしまった
トウ小平を復活させたが、江青夫人ら文革派との衝突が治まらなかった
毛沢東は、死去直前華国鋒の首相への抜てきした
長年の内戦と数多くの党内闘争を全て勝ち抜いてきた毛沢東

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