メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

八十代万歳!(旧七十代万歳)

地域の神社仏閣を回りました 

2017年10月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

今朝またポカをやって、高齢大学の日であることを忘れていました。10時資料館に集合でしたが、10時15分「どうしたの」と電話をいただいて慌てました。「追いかけておいで」と言われて、10時半過ぎ資料館に着いたら、会長さんが待っていてくれて、「今回って居るところは砂利道だから、先回りして待つ方がいいよ」と案内してくださいました。
はじめのコースは先月まだ咲いていないコスモスばたけに行った時に、写真を撮ったお地蔵様と馬頭観音様なのでそこには間に合わなくても良かったのです。




歴史民俗資料館の学芸員さんに付いて歩いて、説明を聞きました。


昔から竹間沢村には6つの稲荷神社がある。それぞれに講の組織があって2月11日には稲荷講が催される。よその人がお参りすることは想定していないので、御賽銭箱はない。


先ず、木下稲荷。天保14年(1843)伏見稲荷を勧請した。

次は二社稲荷。
文久2年(1862)伏見稲荷を勧請した。



竹間神社。竹間沢の村社。
明治以前は、三十番神社と言い、法華経の守り神であったが、明治以降八意思兼命(やごころおもいかねのみこと)を祭る竹間神社となった。
境内には天王様、天満宮、金毘羅大権現、榛名満行大権現、根本山神社が末社としてまつられている。小学生の見学と出会いました。

青龍山寿福寺泉藏院。
真言宗新義派、本尊は不動明王。勢至菩薩も祀られて居る。承応3年(1654)建立。

六地蔵様も。逆光でした。

主稲荷(つかさいなり)。
文政元年(1818)伏見稲荷を勧請した。
見事な五葉の松でしょうか、お社が見えないほど。



竹間沢発祥の地。
竹の間から清水がこんこんと湧き出して沢を作っていた。
暮らしやすいので人々が住み着き、50年余り前まで坂下の柳瀬川沿いに田んぼを作っていた。
ここに、明和3年(1767)馬頭観音を祀った。




本村稲荷。
明治13年この地に移設、
ご神体は鏡。



藤森稲荷。
文化年間に、伏見稲荷を勧請したもよう。



以上で神社仏閣めぐりは終了。資料館に戻りました。



この茅葺民家は、池上家から寄付されて移築したもの。
藍御殿と呼ばれていた。藍の栽培から染め、製品作りまで営んで財を成した家だそうです。


お昼少し過ぎに解散。買い物して帰りました。
(今日は日差しが強く、逆光ばかりで、良い写真はとれませんでした。)


晴天に恵まれ、素敵な散歩となりました。
みなさんよく歩けますね。私は三輪車から降りませんでした。
Uターンしようとしてひっくり返り、心配をかけましたが無事です。


高齢大の日を忘れ、公民館の方と自治会長さんには、たいへんお世話をかけました。
遅刻しても付いていかれて良かったです。有難うございました。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ