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京都大仏再興5回目は? 

2017年10月25日 外部ブログ記事
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{/kaeru_fine/}京都方広寺に有った大仏(豊臣時代から新旧4代の大仏)

京都第一代大仏の造営(秀吉による造営)
 ☆天正地震を機に大仏の建立を計画し、大仏殿と大仏の造営
 ☆大仏殿が完成し、木製金漆塗坐像大仏が安置されたが地震により開眼前に大仏は倒壊
 ☆大仏の無い大仏殿で開眼法要が行われた
京都第二代大仏の造営(秀頼による造営)
 ☆銅製で大仏の再建を行ったが鋳物師の過失により仏像が融解して出火し大仏殿は炎上
 ☆大仏殿と銅製の大仏は、家康等の支援もあり、方広寺鐘銘事件の梵鐘ともに完成した
 ☆方広寺鐘銘事件(豊臣家と徳川家の争いに発展)
 (梵鐘の銘文について家康より「不吉な語句がある」と法要中止の求めがあった)
京都第三代大仏の造営(徳川幕府による造営)
 ☆地震で大仏は小破したので、木造で造り直され奈良の大仏よりも大きかった
 ☆大仏殿に雷が落ち、本堂・楼門が焼け、木造の大仏も灰燼に帰した
京都第四代大仏の造営(愛知県の有志による造営)
 ☆木造の大仏像と仮殿を造り寄進し完成
 ☆昭和48年の火災によって焼失
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、「NHK番組(歴史秘話ヒストリア)」、WIKIPEDIAより










京都大仏再興5回目?(「NHK番組(歴史秘話ヒストリア)」、ネットより画像引用)

焼失後大仏殿跡緑地(方広寺)
鐘銘事件のもとになった梵鐘が吊られた鐘楼(明治再建)がある
大仏殿の台座があったと考えられる場所は、大仏殿跡緑地として整備されている
大和大路七条にある大仏由来の名称
 ☆「大仏前交番」や「京都大仏前郵便局」等施設名に「大仏」の名を留めている
正面通は、この大仏殿の「正面」につながる通りであることに由来している

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