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台風の思い出 

2017年09月26日 外部ブログ記事
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今年は静かですが、9月26日は大型台風の特異日。昭和29年洞爺丸台風。33年狩野川台風。34年伊勢湾台風。いずれも多くの人命を飲み込みました。


東京がやられたのは狩野川台風。静岡県の狩野川はもちろん酷かったけれど、東京や神奈川の中小河川も氾濫しました。雨の量が異常でしたから。


昭和33年9月26日夜私は、野沢龍雲寺行き最終バスに車掌として乗務していました。
中目黒駅前が冠水して激しく渋滞、恵比寿方面から下る坂の、目黒川に架かる橋の上で、バスは進めなくなっていました。すでに上流の橋がいくつか落ちていて、流れを変えてしまい、支流蛇崩川の濁流が正面の岸にぶつかっていました。その目黒川左岸が大きくえぐられ二階家が4軒流されました。4軒目がもんどり打って川に落ち、私たちのいる橋にぶつかって砕け、橋の下流に流れ出た時には古材木から埃がもうもうと舞い上がっている状態でした。
バスはなんとか終点に着いて、高台を回って車庫に入り、お金の精算を済ませた時、そこに居た女の子は後輩と私だけ。電車は不通。彼女の家は遠い。
運転手さんたちは営業所内に泊まる。女の子の居場所はない。
我が家までは4キロ、「2人でうちに帰ろうか」うちは高台、車庫からすぐ坂を登って仕舞えば冠水して居ない道で家に帰れる。
雨風激しい中2人の女の子は真夜中の道を走り抜けました。
ずぶ濡れで家に着いて、母が作ってくれた茶碗蒸しで温まって、6畳間に三人で寝ました。翌日は晴れて、出勤したら、昨日組んだ運転手さんの家が鶴見川の氾濫で床上浸水して居たと聞きました。


毎年この日になると狩野川台風の夜を思い出します。



目黒川は昭和13年と33年に氾濫して橋がいくつも流れたのでした。


昭和13年の目黒川氾濫の時は小学校一年生でした。
風雨が激しくなってから下校させられ、菅刈小学校から目黒橋を渡って向かい側の台地の上にある家まで、小学校一年生がたった1人で嵐の中を帰ったのです。その日いくつもの木の橋が流れてしまいました。
ウチには当時珍しい電話もあったのに、あの頃の大人は今みたいに過保護ではなかったのでしょうか?近所に一年生は居らず、一人ぼっちで嵐の中を帰宅した恐怖の記憶は鮮明に残っています。














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