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自分の居場所 

2017年09月12日 ナビトモブログ記事
テーマ:生活音のない空間で

時々、「自分にとって居心地のいい居場所」ということを考えます。

なぜなら今現在そんな場所は全くなく、強いてあげればネットサーフィンしたり本を読んだりするスタバやタリーズのような茶店くらい。それも店舗によりますが。(店内の客層、客質、空間の広さを含めた雰囲気)

「家」は子供の頃からじっとしているのが嫌いなせいか、寝るところで住む所という意識はなく、サラリーマン家庭で育った私は、父親の転勤で転居が何度もあり、さらに同じ町内、市内でも何度も社宅を変わったり、高校時代になってようやく父親が家を建てましたが、その家も老築化し、売却して、現在のマンションに転居。
これが私の実家となります。
(なので、あまり実家という感じはしません)

東京での生活も学生時代は、下宿、アパート生活。
社会人になっても何度も引っ越しをし、ボロい社員寮、アパート、マンション暮らしで現在に至っています。

どこも仮の寝床で、自分が住み着いた家というのはありません。今住んでいるところが一番長いのかな。

こういう生活に特に違和感はないのですが、
いずれも自分の居心地のいい家はなかった、ない、と感じてしまう事は、どういう事なんだろう。

例えば、毎年年末実家へ行きますが、年明けに自宅へ帰ります。(実家は2日もいれば十分。)
この時、この「自宅」が自分の帰る場所なのか、とふと思う時があります。ちょっとした違和感。

誰もないマンション、待ち人もいないのに「帰る」と言えるのか。
多分、この時、「自分は独り」なんだな、と感じるのでしょう。(50代に成ってからかなぁ)

長年一人暮らしで、「自分は一人ぼっち」なんてほとんど感じず、むしろ一人でいることが好きで誰かと同居すれば、うざったく感じ、一人になりたい、と感じるタイプなはずなのに。
というか、人とうまく共同生活ができない、自己中人間なのでしょう。
精神的欠陥者ですね。
だけど、「たまに」人恋しくなることも事実。「たまに」ですが。

これは「自己の存在意味として」かも。
つまり、自分を必要としている「もの」がいるか、いないか、いないのならば、自分の存在意味があるのか、何て考えているのかなぁ。
(この「もの」とは人とは限りません。犬や猫などのペットなんかも人によってはそうでしょう。)

会社などの組織から必要とされる、ということでもありません。会社など私がいなくても十分機能しますので。(こういう現実を知らない、認めたくないサラリーマンも結構いるだよなぁ)

私も年をとった、ということでしょうか。

ざんね〜ん。


生活音のしない所で、酒を飲みながら好きな本をじっくり読める空間があれば、きっとそれは、自分にとって居心地のいい場所に近づくかも。

でもマンション暮らしでは無理だろうなぁ。
かといって人里離れたところでは何かと不便なので住みたくないし。

面倒くさく、気難しいですね、私は。
死ねばいいのに。


いつものスタバにて



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