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平成の虚無僧一路の日記

暮露(ぼろ)は薦僧(こもそう)の前身か? 

2017年09月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「邦楽ジャーナル」虚無僧曼荼羅 No.10? 2月号
暮露(ぼろ)は薦僧(こもそう)の前身か?
虚無僧という呼び名は江戸時代から。それ以前、室町時代は薦僧(こもそう)でした。
さらにその前身は、鎌倉時代に発生した暮露(ぼろ)と云われていますが、果たしてそうでしょうか。
暮露は『徒然草』第115段に登場してきます。「宿河原という所で しら梵字という
ぼろが 師の仇のいろをし坊と果し合いをし、共に討ち果てた」という話です。
その注釈に「ぼろぼろ というものは昔は無かったが、近き世(鎌倉時代の末)の梵論字
(ぼろんじ)・梵字(ぼんじ)・漢字などの初めか」と書かれています。
このぼろが室町時代には「暮露」と書かれ、江戸時代以降、ボロという音から、
ボロボロの衣を着た乞食のようなものとイメージされてきました。虚無僧も同一視され、
虚無僧や乞食をボロンジと呼ぶ地域もあります。
しかし、室町時代の明応年間(1492〜1501)に作られた『七十一番職人歌合』に
描かれている暮露は、白い紙衣に黒い袴をつけ清楚な姿です。乞食とは明らかに違います。
尺八は持っていませんので薦僧とも違います。そして長い柄の傘を持っています。
?暮露はこの傘の柄を叩いて念仏を唱える芸能者だったのです。
?
大阪の住吉神宮寺に由来する住吉踊りは、男性が長い傘の柄を木で叩きながら歌い、
その周りを何人かの娘たちがリズムに合わせて踊るというものでした。
この他にも各地の念仏踊りの中に、傘の柄を叩いたり、踊り手が天蓋と称する
笠を被るものがみられます。この傘の柄を叩いて音頭を取るのが、やがては
太鼓に変わっていったのでしょう。暮露は今日の盆踊りの源流だったのです。
では、なぜぼろと呼ばれたのでしょうか。「ボロを着ていたから」という説が主流ですが、
それでは「梵論字、梵字、漢字」とも呼ばれていたことの説明がつきません。
明恵上人の作と云われる『ぼろぼろの草紙』に、「虚空坊という暮露は念仏者が大嫌いで、
念仏者を何十人も斬り殺した。しかし鬼の如しと恐れられたがその反面、
慳貪(けんどん)の者には布施の心を示し、瞋恚(しんい)の者には慈悲の心を含め、
愚痴の者には知恵を授け、驕慢(きょうまん)の者には恭啓(きょうけい)の心を教え」と、
仏教の本質を説いており、最後に「虚空坊は大日如来の化身だった」という仏教説話になっています。
大日如来は宇宙万物の創造主。仏の中の最高位の如来で、真言密教の本尊仏です。
如来の中で大日如来だけは宝冠を付けています。(図3)その「一字金輪仏頂尊」の呪
「「ノーマクサンマンダ・ボタナンボロン」は、あらゆる罪障も善人に変えるという
最強の呪文とのことです。 暮露が大日如来を信奉していたとすると、
暮露は大日如来の真言「ボロン」の梵字(図4)を傘に記し、柄を叩きながら、
「ノーマクサンマンダ・ボタナンボロン」と唱えていたのではないか。
そして梵字の「ボロン」から「ボロ」または「梵字」「梵論字」と呼ばれた
というのが私の考えです。 
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