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歴代天皇史(存在し続けた朝廷) 

2017年08月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



戦乱の世で不遇の時代を過ごすも朝廷は存在し続けた

朝廷の財政難が招いた終身在位となった天皇たち
 ☆政治の実権や財源であった荘園は幕府に握られた
 ☆中世の天皇家は儀式を行うこともままならなかった
 ☆天皇の譲位なしの終身在位が3代続いた
織田信長が登場で朝廷の存在感出現
 ☆織田信長は、足利義昭を報じて、松永らの軍勢を蹴散らし上洛
 ☆足利義昭を将軍の座に据え室町幕府の大義名分得た
 ☆信長は「正親町天皇を保護する」と触れ回り正親町天皇の後ろ盾も得た
 ☆信長の軍事行動は、天皇家、朝廷の威信回復をも意味していた
天皇・朝廷の最大の保護者でもあった信長の死
 ☆朝廷はまた明日をも知れぬ状況に身を置くこととなった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『歴代天皇史(三栄書房)』(綺麗な絵画が記載されています)




存在し続けた朝廷(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)

朝廷の財政難が招いた終身在位となった天皇たち
戦乱による軍費の拡大で、幕府や他の有力者も手を貸す余裕がなかつた
後土御門天皇は5度も退位宣言をしながら実現できず
後土御門天皇崩御後、葬儀も40日ほど延期された

織田信長、京都を制圧し天下取リヘ大きく前進
朝倉・浅井・石山本願寺との戦い
 ☆信長は正親町天皇の権威を借り、その勅命を受けて講和を結んだ
信長は足利幕府の終焉を悟っており、足利義昭を京から追放する
これ以降、足利幕府の将軍は途絶えて、室町時代は終わりを告げた

天皇・朝廷の最大の保護者でもあった信長の死
信長の天皇ヘの忠誠を示すため、京都で大規模な馬揃えを行なった
 ☆正親町天皇に対する閲兵式
信長は、明智光秀の謀反に遭い、本能寺にて討死した
信長を討った明智軍は、正親町天皇の第一皇子誠仁親王が住む御所を包囲した
 ☆明智軍は、親王を討つことはできず逃亡を許可した
誠仁親王は、正親町天皇の「上御所」へと逃げれた

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