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平成の虚無僧一路の日記

映画「関ケ原」 

2017年08月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



8/26に封切られた映画「関ケ原」観てきました。
「司馬遼太の小説、完全映画化」「今明らかにされる関ケ原の真実」などと
いう触れ込みで期待していましたが・・・・・。悪口は書きたくありませんが
観た人のレビューを見ると、みな私と同意見です。
「期待していただけに大変残念。途中で退場しました」
「歴史を知らずに見た人は絶対に解りません。何を訴えたいのか解らなかった」
「詰め込みすぎ。教科書を早口で読み聞かせしている、そんな感じ」
「役者も早口で、何を言っているのか聞き取れない」
はい、隣りの人も半分寝ていました。
「人間模様が描けていない愚作」
「製作した者がこの小説の本質を捉えていないとしか思えない」
「TBSで放映された『関ケ原』(石田三成を加藤剛)と比較してしまう」と
いう意見も。私もTBSの『関ケ原』には感動し、DVDも買って何回か
見ました。テレビは5時間、映画は2時間半という制約ですから、
どこをどう切り取るかですが、見終わって何の感動もない映画でした。
?
ところで「関ケ原の真実」。Wikipediaをみると、今まで云われてきた定説の
ようなものが、ほとんど後世のものとのこと。
まず、「石田三成は、奥州会津の上杉景勝の家臣・直江兼続と密謀を交わし、
家康を東西から挟み撃ちにしようとした」という定説について、映画でも二人が
会見していましたが、三成と兼続が接触した事実はないとのこと。
?
?なぜ、石田三成は大垣を出て関ヶ原転に向かったのか。
「家康が大垣を無視して佐和山城を陥とし、大坂へ向かう」という流言を流し、
三成が急遽おびき出されたとされているが、これも疑問とのこと。
私も今日大垣へ行ってきました。小さな城でした。大垣は「水の都」。
この時期長雨で、水攻めに遇えば城から出撃できない。三成は当初から
関ケ原で東軍を迎え撃つ計画で、松尾山に堅固な砦を築き、その周辺に
島津、毛利他主力部隊を配備していたと。なるほど、東軍が関ケ原に向かった
との知らせに、急遽夜を徹して関ケ原に向かったとしては、砦など築けない
はず。納得。
松尾山の奥に布陣したま動かない小早川秀秋に、家康が業を煮やして
威嚇射撃を行ったという俗説も私は疑問に思っていました。
家康の鉄砲隊がどうやって松尾山に近づけたのか、また発砲してきたのが
家康とどうして判ったのか。発砲されたら敵に回るだろうに、驚いて家康に
味方したのは不自然。信用できる史料で威嚇射撃は裏付けることは
できないとのこと。結局小説家の創作。
?
このほかにもいろいろ。とにかく「真相が明らかに」と謳う割りには、
俗説通りで何の真相も新しい解釈も無し。
女忍者「有村架純」にいたっては、完全に場違い。石田三成が忍者に恋する
なんて笑止千万。まだTBSの加藤剛と松坂慶子は相応の格で感動でした。

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