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歴代天皇史(天皇の権威失墜) 

2017年08月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



応仁の乱勃発から下剋上の時代へ

天皇家と将軍家が同居する事態に
 ☆応仁の乱の兵火で公卿の館や寺社そして御所も焼けた
 ☆諸勢力も朝廷への献金どころではなく、朝廷の財源は枯渇した
 ☆後花園上皇と後土御門天皇は将軍・足利義政の「花の御所」へと逃れた
 ☆天皇家と将軍家が同じ屋根の下に同居する奇妙な事態となる(10年間)
後土御門天皇の親政(後花園上皇崩御後)
 ☆将軍屋敷での仮住まいでは、天皇の威信も発揮しようがなかった
 ☆自分の無力さに絶望した後土御門天皇は、幾度も「辞めたい」と退位を口にする
後柏原天皇や後奈良天皇の治世
 ☆朝廷の財政状況はますます悪化
 ☆両天皇とも各大名家から寄付金を集めなくては即位の礼もできない状況
 ☆正親町天皇の頃は、その権威も薄れていた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『歴代天皇史(三栄書房)』(綺麗な絵画が記載されています)




天皇の権威失墜(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)

戦国時代の契機となった「応仁の乱」
天皇は、後土御門天皇で、先代の後花園上皇が院政を敷いた
諸人も後花園上皇を最高権力者と見ていた
応仁の乱で、後花園上皇は、東軍・細川勝元から綸旨(りんじ)の発給を要請された
 ☆上皇は拒否した
東軍の保護下にありながらも綸旨を許可しなかった
後花園上皇は、朝廷の長として矜持を示した

後土御門天皇の親政(後花園上皇崩御後)
後土御門天皇は、応仁の乱による、混乱と貧困は自分の行いが悪いとした
各地に使いを派遣して般若心経を読誦さぜ国家の平安を祈願した
自分の無力さに絶望した後土御門天皇は幾度も「辞めたい」と退位を口にする
資金がなく譲位の儀式もできないまま58歳で崩御した

下剋上の時代
足利幕府の権威も地に落ちた
将軍・足利義輝が家臣の松永久秀や三好長逸らの襲撃に遭い殺害された

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