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歴代天皇史(第10代崇神天皇) 

2017年07月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



崇神天皇の存在(もうひとりのハツクンラス)

統治者として具体的な施策を行なった記録が残されている
ヤマト朝廷の祖とも言われているのが、第10代崇神天皇
 ☆優れた統治者としての業績を多く残している
 ☆欠史八代の後に即位した、ハツクニシラス天皇という称号がある崇神天皇
実在した崇神天皇だが、神話世界とも近い
 ☆崇神天皇の都の場所を決めるところから始まり、疫病に対する処置は神話の世界?
 ☆戸口の調査なのでは、有能な統治者であることを伺わせる事績が伝えられている
 ☆各地を平定するため将軍を各地に派遣する(四将軍)
 ☆国に命じて船を造らせたり農業を盛んにするため各地に池を造ったりする
 ☆殖産にも力を注ぎ、ハツクニシラス天皇にふさわしいものが感じられる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『歴代天皇史(三栄書房)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています






崇神天皇(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)

『日本書紀』から崇神天皇の足跡(疫病対策)
崇神は、父である開化天皇の崩御翌年に即位し、3年目に都を定めた
即位後5年目に疫病が国中に蔓延し、国民が激減してしまう危機に見舞われた
崇神天皇の夢に、大物主神が現れた
 ☆自分の子孫を神官として祀れば国も安らかに治まるだろうと告げた
 ☆崇神はさっそくそれを実行に移す
処置が効いて、疫病は次第に鎮より国家は平和に治まる

『日本書紀』から崇神天皇の足跡(国の基礎を確立)
各地を平定するため将軍を各地に派遣する(四将軍)
 ☆大彦命が北陸道、武淳川別を東海道、吉備津彦を西道、丹波道主命は山陰道
四道将軍は、各地で従わないものを討伐し、地方の賊軍を平定させて帰参
その翌年には戸口を調査し、課役を科した

崇神天皇の後継者
弟の活目命を皇太子とし、後の11代垂仁天皇です
兄の豊城命には東国を治めさぜている
不満を訴えた出雲振根を誅殺した
 ☆中央政権となっていったヤマト政権の力を示した
即位から68年目120歳で崩御した

神職の祖意富多多泥古命
大物主神と活玉依昆売との間に生まれた櫛御方命の孫の子
大物主神と活玉依昆売の不思議な伝承
 ☆美しかった活玉依昆売の前に端正な青年が現れた
 ☆ふたりは惹かれ合うようになり毘売が身籠る
 ☆父母は青年の正体を突き止めるため、青年の衣に麻糸を刺すよう命じた
 ☆残された糸をたどると青年が大物主神であることを知った
崇神天皇時代は、まだ神話世界との距離が近かった

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