メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

世界史(弱体化する清朝) 

2017年07月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



列強の進出で弱体化する清朝

内乱で弱体化する清朝
 ☆アヘン戦争の敗北で、銀の流出による銀価の高騰などで税負担が重くなる
 ☆各地で抗租運動が激化した
太平天国が結成され、太平天国の建設を目ざす
 ☆キリスト教と民間信仰を融合させた宗教結社
 ☆清朝の打倒や辮髪、纏足の禁止を唱えた
 ☆蜂起は、貧農などが加わって勢力を広げ、南京占領
イギリスは、フランスと共同で清に対しアロー戦争を仕掛けた
 ☆英、仏軍が天津を占領し、清朝政府は降伏して天津条約を結ぶ
 ☆英・仏軍はさらに北上して北京を占領、北京条約を結んだ
2つの条約結果
 ☆九竜半島の一部をイギリスに割譲、天津など11港の開港
 ☆アヘン貿易やキリスト教布教の自由化などを認めさせられた
 ☆外国使節の北京駐在を許し外交事務を扱う総理衛門が設置された
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『世界史(成美堂)』


弱体化する清朝(『世界史(成美堂)』記事より画像引用)

太平天国の鎮圧と洋務運動
太平天国に対しては、中立の立場をとっていた列強
アロー戦争後は、清朝から得た権益を守るため鎮圧に協力
太平天国は崩壊したが内憂外患を抱えたまま
 ☆続発する国内反乱などの内憂
 ☆アヘン戦争やアロー戦争などの外患を抱えた清朝
国内体制の改革を迫られ、漢人官僚の洋務運動
 ☆従来の制度はそのままに、軍事と生産技術の改革を行う
 ☆富国強兵や民間企業の育成に一定の成果を得た
 ☆同治中興とよばれる安定期を演出した

列強の侵略を許した中国古来の中華思想
中国の王朝は古来、自己を天下で唯一最高の中心と考える中華思想を持ち続けてきた
外国からの使節や貿易も朝貢という形でしか認めず、対等な国の存在を認めていない
中国だと限定する国境、領土といつ概念が希薄であった
西欧諸国とも対等な交流ができず、列強による侵略を許すこととなった
総理衛門設置で、中国は対等な外国の存在を認める外交を始めた

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ