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都わすれの「「ベガルタ応援日記」

ユアスタには行けなかったが・・ 

2011年03月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


今日は津波で床下浸水だった「無人の我が家」で、少しでもって思って片付けをして来ました。


井戸水が上がらなくって従姉弟が来て見てくれましたが、中の部品が減っちゃったようで「部品交換すれば・・」と言うことでした。


井戸を掘ってくれた方も見に来てくれた跡がありましたが、多分部品が手に入らないのかと・・!


市の水道の蛇口は「水漏れ」するから、修理を頼んであるけれどいつになるのか分からず 


そんな中心配していた先輩が、自転車で訪ねて来てくれましたが、行かなかった昨日も来ていたような・・!


その方は地震の翌日に「奇跡的」に助けられたが、足など凍傷が酷く結果的に酒田の「東日本病院(?)」まで運ばれて、2週間入院していたそうな・・!


避難所では「行方不明」って書かれていて、その後「病院」って書かれてあったが何処の病院か誰にお聞きしても分からなかった。


助けられるまで18時間首まで水に浸かっていたそうで、一緒にいたお母さんと次男さんは未だに行方が分からないような・・・


我が家の「オンボロ家」を貸して欲しいって言われたが、とてもお貸しできる状態でなく見ていただいて納得してもらったが、何とも辛いです 


息子さんは京都にお住まいだったが「休みが取れたから」って帰って、2日目だったそうで・・帰って来なかったらって泣かれて、お掛けする言葉も無かった 


本当に微妙なところで「生死」を分けたり、色々なことがあったのですね。


そんな時私は暖房は無かったが、懐中電灯を抱いて余震に怯えながらも、寝ていられたのだから・・・!


足に凍傷があったり「低体温症」で危篤状態だったが、お母さんや息子さんのことが心配で「京都行き(最初に京都の病院を紹介された)」を断ったそうです。


避難所暮らしながら夫の従兄弟の息子さんは、元気に声を掛けて行かれたから良かったが・・!


とりあえず元気な姿を見てホッとしましたが、何ともやるせない思いでいっぱいです。






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