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平成の虚無僧一路の日記

梶田昌艶先生の葬儀 

2011年03月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



梶田昌艶先生は、18歳で「筝・三絃 教授所」を開き、以来 65年。
20代で『水上に寄せて』をはじめ 次々と作曲をし、東京新聞主催の
「邦楽コンクール」入賞は数回におよび、宮城道雄に認められて
直門となった。戦後まもない 昭和20年代のこと。まだ、東海道は
蒸気機関車で、名古屋から東京まで8時間もかかった。そこを、
20代の小柄な女性が、身の丈より大きい琴をかついで、コンクールに
出演するため 東京まで行ったのだ。

昭和30年のコンクールでは、私の師、堀井小二朗が金賞を取り、
銀賞に甘んじた。そんな因縁もある。

作曲の才能には恵まれたが、それを引き出すには、人一倍の
努力を惜しまなかった。「努力を継続するのも“才能”のうち」と
言うが、まさに、努力と執念の人だった。

そして 毎年のように NHKから声が かかり、今年も つい先日
FMラジオ『邦楽のひととき』で 放送された ばかり。

芸歴65年は長すぎた。高弟は もうみな 高齢。葬儀はどうするのか
と心配したが、案ずることはなかった。「供花」は「名古屋三曲協会」
はじめ、琴・尺八の各流派、個人から 20ほど 並び、NHKからも
届けられた。そして、昨晩の通夜も今日の告別式も 参列者は 100名を
越え、琴、尺八の演奏も加わり、実に 盛大に 執り行われた。
「孤高の人」だったが、最後を こうして 締められたのは 幸せ
だったかも。

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