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平成の虚無僧一路の日記

中野正剛の名が 

2011年03月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



今朝(3/22)の中日新聞朝刊「社説」に、「中野正剛」の名が
載っていてびっくり。

「中野正剛」は、「戦時下、東条英樹に立てついて捕らえられ、
保釈後自決した」という程度のことしか、一般には知られて
いない。私の母の従兄弟が、中野正剛の弟の「中野秀人」に
嫁いでいるので、遠縁にあたり、子供の頃から関心を持っていた。

人気ブロガーの「松岡正剛」は、父親が「東条英機を批判し、
自決した 気概のある男・中野正剛にあやかって“ 正剛 ”と
名づけた」と語っている。私も 小中学校の頃、気負って
「正剛」という変名を使っていたことがある。

さて、中日新聞の社説は

「太平洋戦争中の 1943 (昭和18) 年 元旦、衆院議員・
中野正剛は 朝日新聞紙上に発表した『戦時宰相論』を
こう結んだ。
難局日本の名宰相は絶対に強くなければならぬ。強からんが
ためには、誠忠に謹慎に廉潔に、しこうして気宇広大で
なければならぬ」と。これは当時の首相東条英機を痛烈に
批判したもので、首相に強いリーダーシップが求められるのは、
今も昔も変わりはない」。

という前置きで、現代起こっている非常事態に、菅首相にも強い
リーダーシップが求められるが、国民の目には「我が強い」と
しか映らないと、社説は論じている。

社説は、今の日本が負っている難局を乗り越えるにあたっての
菅首相の資質を問うに、中野正剛の「戦時宰相論」を引き合いに
出してきたのだ。

一般には知られていない「中野正剛」を引き合いに出してきた
ことが、驚きなのである。名古屋で出会った詩吟の宗家A氏が
「中野正剛の秘書をしていた」と言っていたるこれも“ご縁”だ。

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