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平成の虚無僧一路の日記

ついに解けた『虚鐸伝記国字解』の謎 

2017年05月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



『邦楽ジャーナル』7月号に 掲載予定の原稿です
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『虚鐸伝記国字解』は「虚鐸の伝記」ですが、その前段に、
「虚無僧の始祖は楠正勝である」ということが書かれているのです。
(中略)
頓翁が書いた『虚鐸伝記』が、阿野中納言家に伝えられ、
150年後、同族の山本守秀が注釈を加えて世に出したというのです。
山本守秀は序文で「『虚鐸伝記』は虚鐸の伝承が主で、楠正勝のことが
詳しく書かれていないのは不満である」として、自ら集めた伝聞を元に
「楠正勝」の記事を『虚鐸伝記国字解』の「巻の上」に納めています。
山本守秀は、江戸時代の半ば、虚無僧が堕落して乱暴狼藉を働くなど、
嫌われ者になっていることを嘆き、「虚無僧の元祖は、忠臣楠正成の孫正勝なり。
楠正成の誠忠を伝え、志を篤くして世を忍ぶ由緒正しき宗門なれば、
この宗に入る者は、ただ逍遥として風流を以て是とし、威勝(ルビ:いかつ)い
振る舞いをなさず、身を辱(ルビ:はずかし)めず、この宗門の繁昌すること、
指を折り日を数えて待つべし」というのです。つまり、「虚無僧は楠正勝の
志にならい、威儀を正せ」と説いているのです。
それが『虚鐸伝記国字解』を世に出した山本守秀の真意でした。
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阿野・葛山・北条の不思議な関係
楠正勝=虚無僧の始祖説は信じがたいものですが、ではなぜそのような伝承が
山本(阿野(ルビ:あの))氏によって創られたのかが、次なる謎です。
阿野氏の祖は、なんと牛若丸(源義経)の兄今若丸です。今若丸は異母兄の
頼朝が天下をとると、駿河国駿東郡阿野荘(現静岡県沼津市西部)を領し、
阿野氏の祖となります。その子孫に後醍醐天皇の後宮「阿野廉子」が
出ます。南朝の後村上天皇の生母です。後村上天皇は西方寺を手厚く遇し、
興国寺と改めさせました。西方寺は、葛山景倫が源実朝と北条政子の菩提を
弔うために建てた寺でした。その北条氏を滅ぼした後醍醐天皇とその子
後村上天皇が、西方寺を興国寺と改めさせたのは、政子の怨霊を封じるため
でしょうか。阿野廉子も興国寺のことは知っていたはずです。
その阿野氏は南北朝合一後も公家の座に留まり、江戸時代、明治、昭和と
存続します。
そして阿野荘の隣人は西方寺を建てた葛山氏でした。北条早雲が最初に
沼津に築いた城は興国寺城です。早雲の子北条幻庵は尺八の名手で、
北条家の家臣の多くが尺八をたしなみ、北条氏滅亡後、何人かの家臣が
虚無僧に身をやつして関東各地に草庵を建て住んだのです。
阿野氏と葛山氏と北条氏、そして興国寺は見えない糸でつながっているのです。
そうしたDNAが、虚無僧南朝説を創りあげたのでしょう。
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吹いていく
今やネットで何でも調べられる。私は阿野氏の子孫をずっと探し続け、
東大の史料編纂所などにも通ったものでした。ところが最近ネットで
検索してびっくり。山本氏は阿野氏の支流であること。阿野氏の子孫は、
有名な作曲家で、私の東京の家の近くに住んでおられたこと。そして
その二人の姉妹がチェロリストとヴァイオリニストとして世界的に
活躍されていることを知り、早速フェイスブックでメールを交わしました。
こうして『虚鐸伝記』の謎がイッキに私の身近に迫ってきたのです。

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