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雑感日記

カワサキの二輪事業と私 その46 昭和50年(1975) 

2017年03月29日 外部ブログ記事
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?★ 昭和50年(1975)と言えば新幹線が博多まで開通通したり、布施明の『シクラメンのかおり』が流行ったりした年なのだが、カワサキの二輪事業にとっても、私自身も『転換期』と言っていいそんな年だったのである。
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オイルショックの影響などもあって、それまで事業を引っ張ってきたアメリカ市場に陰りが見え始め、明石工場では「生産調整」などが行われたりしたのである。
この年の6月には、発動機主体の谷岡―今井体制から二輪主体の塚本本部長ー青野副本部長体制となり、当時の吉田俊夫専務が直接二輪事業を担当しされて長期計画の策定を試みられるなど、川重本社も二輪事業に大きな関心を持って二輪事業を総合的に見直そうという機運が生まれていたそんな時期だった。
?川重本社財務本部から堀川運平さんが単車の企画室長に赴任され、それまでの浜脇洋二さんのアメリカのKMC主体の二輪事業運営から、ヨーロッパ市場や東南アジア市場への進出など世界展開の動きが始まっていたのである。
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アメリカではリンカーン工場が稼働して二輪車と共にジェットスキーの生産を開始し、ヨーロッパでは英国に続いてドイツにも新しく現地販売会社を設立したのである。
その他オーストラリアにも販売会社の設立、イランでのノックダウン生産開始など、事業の幅も広がり世界規模での展開となるのである。
レースの世界でも、フランス・ルマン24時間耐久レースにZ1000が1位から3位まで独占するなど表面的には非常に派手に動いているのだが、肝心の事業の中枢のアメリカ市場が勢いを失いかけていて、その舵取りはなかなか難しかったのである。
そんな複雑でムツカシイ時期に、私は川崎重工業の発動機事業本部への復帰ということになり10月1日付で事業部の企画室の課長として事業部に戻ったのである。
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★ 事業本部への異動は、この年の9月28日に、カワ販の田中社長から直接、突然に言われたのだが、あとでいろいろ聞いてみるといろいろあったようで、結果的に単車の企画室に戻れたのは誠に幸運だったと言っていいのである。最初は当時スタートしたばかりの本社の中国営業部門への異動だったようで、それは私は大学で『必ず優をくれる中国語の先生』の中国語をとっていたので、『中国語が喋れる』とめっこを入れられたようである。
殆ど決まっていたのを堀川企画室長と企画部長の高橋宏さんとで本社人事に交渉して「取り戻して頂いた」ようなのである。
10月初めに本社に挨拶に行った時、山田熙明常務から『古谷くん、今回は大変だな』と声を掛けられて『単車の企画に戻りました』と言ったら、『そうか、それはよかったな』と仰ったのである。それで、高橋宏部長に聞いてみるとこんなことだったようである。
人間、不思議なもので『まさに幸運だったな』と思っている。若しその時本社に動いていたりしたら、中国語など喋れるわけもないので大変だったのである。
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★そんなことで動いた企画部門なのだが、そこには課長クラスとして、アメリカに行ってた田崎雅元さんがカワ販にいた岩崎茂樹くんとのコンビで、アメリカを担当していたし、ヨーロッパのドイツの販社に行く予定でアメリカから戻ってきていた種子島経さんもいたのである。
私は事業計画や長期計画などを武本一郎・森田進・今城公徳くんなど優秀な部下のいるグループの長として、本社関連などを含めて担当することになるのである。
10月に赴任して、すぐに吉田専務から直接指示があったのが『発本戦略』なる長期計画策定だったのである。
吉田俊夫専務は、非常に厳しくて『怖い』ということだったのだが、二輪事業が気に入っておられて、しょっちゅう明石に来られていたのである。
特に生産構造計画をベースに小型車を低コストで生産しようという『小型車プロジェクト』を生産管理部長の田中さんと進めておられたのだが、それをベースに『発本戦略』を創れというご指示なのである。
このプロジェクトは50万台を効率的に『安く』造るという生産構造的な発想なのだが、『どのように売る』のかが抜け落ちていて、その纏め方はなかなかムツカシイのである。
吉田専務の仰る『小型車で数を売る』というコンセプトで、明石工場に大規模な設備投資をしてというのは少々危険なので、投資は最小限で『数は期待できる』開発途上国でのCKD事業の方向に纏める方向とし、吉田専務ご指示の12月末までに纏め上げたのである。
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?★今までの10年間は、どちらかと言えば、国内の販売会社から観た『カワサキの二輪事業』だったのだが、昭和50年度(1975)以降は、川崎重工業の二輪事業部という立場からの私が経験した『カワサキの二輪事業と私』なのである。
この昭和50年代の10年間は、カワサキの二輪事業にとっても日本の二輪車産業にとっても大変な変動の時期だったのである。
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日本の二輪産業について、非常に詳しく記述された http://www.geocities.jp/croutonv/  こんな考察があるのだがオイルショック以降(1975年頃-1999 年)についてこのように記述されている。 
抜粋してご紹介するとこんな激動の時代だったのである。

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高度経済成長によって人々は豊かになり、運転免許保有者数は・・約3,350万人へと約12倍に増加しました。・・交通事故による死者も徐々に増加し、1970年には年間16,000人を越え、戦後最悪となり、「交通戦争」という言葉さえ生まれました。二輪車の保有台数も1960年には約300万台だったものが1975年には約880万台へ、約三倍に増えています。
<販売競争の激化> 1981年から1983年にかけて二輪車生産台数は急激な伸びを示してました。巷間、この競争はホンダとヤマハ間の競争ということで「HY戦争」と呼ばれています。「HY戦争」のきっかけは、1950年代から順調に生産を拡大していたヤマハが1970年代後半に国内市場シェアでホンダに数%のところまで近づいたことにあります。・・・この競争により一時的に国内販売台数は大きく伸びましたが、大量の過剰在庫を抱えるという形になってしまい、「HY戦争」終結後も数年間にわたって二輪車産業全体を苦しめることになります。



<海外生産の拡大> ・・日本の二輪車メーカーの技術力が世界的水準に達するのが四輪車に比べると早かったとも言えるでしょう。・・・コスト面を考えると、できるだけ市場に近い場所で生産することが有利であり、本格的に欧米に進出するのも四輪車に比べると早かったのです。 
<アメリカ政府による輸入規制> ・・・1983年にアメリカ政府のITCによって、700cc以上の輸入二輪車に課す関税の増額が決定されたことではないでしょうか。・・・当時、日本製の大型二輪車がアメリカ市場を席巻し、アメリカ唯一の量産二輪車メーカーであったハーレーダビッドソン社を窮地に追い込んでいました。ハーレーダビッドソン社は、日本のメーカーを相手取って反ダンピング訴訟を起こしており、アメリカ政府に上記内容の規制を働きかけたのです。



750ccを超える大型二輪車の販売自粛 と 最高出力の自主規制? 前述の750ccを超える大型二輪車の販売自粛と同様に、高性能化による事故増加の懸念から、国内販売される二輪車に対しては最高出力の自主規制がおこなわれました。

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?10年振りに明石工場に戻って、それも『企画室企画部』という事業の中枢部門に戻ったのだが、これからの10年間は私自身が、上記の激動の波の真っただ中に置かれてしまうのである。 国内の『HY戦争』は、アメリカにも飛び火してとばっちりを受けたし、『ハーレーダンピング』は、カワサキの国内販売会社機構そのものを揺るがすことになるのである。


?そんな激動の時代を『大変だ』と思うか『オモシロい』と思うかは考え方次第だが、『オモシロい』と思って、これら問題を田崎雅元さんとのコンビで対処していくことになるのである。
このような対応が出来たのもカワ販への10年間の出向経験が生きたし、同時にこれから起こる10年間の新たな経験もまた貴重だったのである。
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?★国内の販社に出向中は、どちらかというとレース関係や、営業第1線だったので、資料作成よりは「現場での実行」が中心だったのだが、私自身は資料作成や計画立案はそんなに不得意な分野ではなくて、むしろ「得意分野」とも言えるのである。
企画室に戻ってみると、計画や書類作成の機会がめちゃめちゃ多かったのだが、殆どの資料の基本的な骨格は私自身が作ったものである。当時は、未だパソコンなどはない『手書き』の時代なのだが、この昭和50年10月以来の『自分で書いた資料』を纏めたものがこんなファイルで今でも残っているのである。
?このファイルが、50年10月から、53年までの約3年間の資料なのである。
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『カワサキの二輪事業と私』も昭和50年9月までのカワ販時代は、残念ながらそのような資料はないのだが、この年から現役引退までの1998年までは、すべての自分が作った資料は手元に残っているのである。
?1975年から始まって1998年の現役最後の年までの約30年間がここにある。
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これから先の『カワサキの二輪事業と私』はこれらの資料に基づいての記述になるので、ご期待頂きたいと思っている。
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★ その歴史ー「カワサキ二輪事業と私」を最初からすべて纏めて頂いています
https://www.facebook.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-662464933798991/
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★ https://www.facebook.com/1126074024157186/
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