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平成の虚無僧一路の日記

法燈国師覚心と萱堂聖の覚心 

2017年03月28日 外部ブログ記事
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高野聖のうち萱堂聖は無本覚心を祖としている。高野聖とは別所に集団で居住して                          真言念仏や禅・時宗などを兼修しており、勧進を行ないつつ、後世には商業にも従事した。                      高野聖には萱堂聖・小田原谷聖・往生院谷聖があったが、このうち萱堂聖は無本覚心を                        祖とする説話がある。紀伊由良法灯国師(無本覚心)80歳の時である弘安9年(1286)、一人の俗人が                          西方寺にやって来て、国師に「私は塵累を厭う(出家を願う)志があります。                            願わくは和尚の弟子として下さい」といった。そこで髪を剃って「覚心」と名づけた。                        弟子として師の法諱を犯すことを恐れたが、国師は考えるところがあるとして許さず、                        「お前は高野山に縁がある。そこに行って萱原で念仏を唱えなさい」といって                            鉦鼓1口を与えた。覚心は「高野山は鳴器(楽器)を禁じています」といったが、                          国師は「ただ私の言うとおりのままにしなさい」といったので、高野山に登って念仏した。                         山中の大衆は鐘の音を聞き、驚き怪しんでその音の場所を探してみると、老人が萱の中にて                      鉦鼓をたたいて安座念仏していた。大衆は「お前は何をしているのだ。この山は古来より                        鳴物を禁止している」といった。覚心は「私は由良(西方寺)の開山の教えのままに                         しているだけである」といった。大衆は鉦鼓を捨てたが、この鉦鼓はたちまち空中に                         飛び上がって山や谷に鳴り渡り、ついに覚心の座わっている前に還ってきて、                             叩いていないにもかかわらず自ら鳴った。大衆達も不思議な思いをした。                              その夜高野山検校宿老の夢に、鉦鼓を許すべきの旨は祖師明神と由良開山                              (無本覚心)との契約である、と見たため、萱を引き結んで堂を建てて                                 念仏三昧の場とした(『紀伊続風土記』巻之54、非事吏別、萱堂)

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