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平成の虚無僧一路の日記

法燈国師覚心と、曹洞宗、律宗との関わり 

2017年03月28日 外部ブログ記事
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無本覚心と曹洞宗・時宗・律宗・萱堂聖無本覚心は禅宗のみならず、密教と深い関わりを持っていたが、                                  他宗派との接点が非常に多いことでも知られる。つまり無本覚心は                                 禅宗という枠組みにとらわれない広範囲の宗教者であった。                                    無本覚心の伝記は『鷲峰開山法灯円明国師行実年譜』であるが、                                  この年譜は無本覚心の生涯を純禅的な部分を強調するあまり、                                    他宗派との交流を削除してしまっているようだ。
また他宗派側でも、基本伝記にはみえず、むしろ後世に記された史料に                                 みえることが多く、無本覚心と他宗派の交流が実際にあったかどうか、                                実証は難しい。曹洞宗と無本覚心の関係は、仁治3年(1242)に無本覚心が道元より                                菩薩戒を受戒した時よりはじまるが、その後の関係は瑩山紹瑾(1268〜1325)を                          通じて説かれることが多い。
瑩山紹瑾は、道元下4世で、曹洞宗の教団確立につとめ、後世には道元を高祖、                            瑩山を太祖として併せて両祖とされた。この瑩山紹瑾にも「法灯(無本覚心)が                           南紀の興国寺(西方寺)にいる時、師(瑩山紹瑾)は赴いた。(無本覚心は                             瑩山紹瑾を一見して大いに称賛し、(瑩山紹瑾はここに)留まって冬を過した」                          (『日本洞上聨灯録』巻第2、能州洞谷山永光寺瑩山紹瑾禅師伝)とあるように、                             無本覚心参禅説話があるが、多くの瑩山紹瑾諸伝では触れていない。
しかしながら、無本覚心の法嗣である恭翁運良・孤峰覚明(1287〜1361)は                            実際に瑩山紹瑾のもとに参禅しており、その後も無本覚心の法脈である法灯派と                           曹洞宗の関係は続くこととなる。
律宗では久米多寺の道爾(1254〜1324)に無本覚心参禅説話がある。道爾は由良法灯国師(無本覚心)の道風を聞いて、興国寺(西方寺)にむかった。                             無本覚心はあらかじめ衆徒に「三日の後に嘉賓(よい客)がやって来るだろう」といった。                       禅爾がやって来たということを聞いて、無本覚心は歓喜し、禅爾に対して慇懃に接し                         誠実に対応したため、禅爾は宗旨を理解することが出来た。                                  (『延宝伝灯録』巻第34、泉州久米田寺円戒禅爾法師伝)

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