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負け惜しみの効用 

2017年02月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

右肩の腱板が完全に断裂したら、肩から肘の間は全く何も出来なくなるのだった。力が少しも伝わらない。でも肘から指先は別の回路であるらしく全く無事。どうなっているのやら???


右は利き手だから、無意識に使う。
目の前の屑かごに投げたつもりの紙くずが、手前に落ちた。「そうだった、右手は半分利かないんだ」と納得する。
キッチンの水道栓に届かない。左手のものを、置いてから左手でひねる。かなり面倒。


でも、何かが出来なくなったと気付いたとき「悲しみ」の感情が全く湧かないのが、我ながら不思議だ。「ふーん。出来ないんだ」と納得しているだけ。「出来なくて悲しい」という感覚に無縁なのだ。


これって、敗戦の混乱以後、14歳から身につけた防御本能 なのかな?何もかも、思うように行かない時、悲しむのは嫌だった。負け惜しみが極めて強くなった。


「現実はこうだ。これは如何ともし難いのだ。ではどうするか?」次の手を考えるだけで、悲しむ暇など無かった。運命に降参しない癖がついた。


そうやって自分は負けないという自信がついた。挫折を繰り返しても、自信過剰のままだった。


そして、老いた今、緑内障はわずかずつ進行しつつあるし、右肩は壊したし、腰にも両膝にもいっぱい病名がついている。尻餅をついたら、自力で起き上がるのは極めて困難だ。


でも人に出来ないことをやってもいる。1時間以上でも、民話を語り続けることができる。三輪車を乗り回してもいる。インターネットでいろいろ出来る。出来ることがあるから出来ないことを諦められる。
ま、良いんじゃない。良いってことにしちゃいましょう。



今日も快晴。うちの町の大きな倉庫の火災は、3日経ってもまだ消えないと言う。
ビルの陰なのか煙は見えないが、未だに商品が爆発したりしているらしい。
注文すれば明日届くという会社らしいから、商品をどっさり保管していたのだろう。


今日は7時半まで寝坊したら、リビングに日差しが強く、暖房いらずだった。
今日暖房をつけたのは、午後3時半だった。


午前中私はマンション自治会の会合に出た。こういう当番に年に何もしなかっtことはないんだけれど、今回は、地域清掃にも出られず、クリスマスツリーの飾り付けも手伝えず、会合の日は入院中だったし、まあそのまま次の人に引き継ぎだ。

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