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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧と風呂 

2011年02月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



江戸時代、虚無僧寺のいくつかは「風呂」を沸かし、
一般の人に開放していた。それで、虚無僧寺は、別名
「風呂司(寺)」「風呂屋」と呼ばれていたのである。

「鈴法寺」や「一月寺」が江戸に置いた番所(出張所)も、
高崎の「慈上寺」、宇都宮の「松岩寺」も「風呂屋」を
営んでいた。

ひと昔前まで、銭湯の入り口が「寺構え」になって
いたのは虚無僧寺の名残かもしれない。しかし、
町の「銭湯」とは区別されていて、「銭」ではなく
「薪料」として「志」を受けるのだと主張している。

これはどうやら、檀家を持たない虚無僧寺の貴重な
収入源だったようだ。

「遊行聖人」とか呼ばれた「時衆(宗)」も、全国を
周遊し、行く先々で「風呂」を沸かしている。こちらは、
酒肴や歌舞音曲付きで「娯楽施設」となっていく。
そこから「歌舞伎踊り」が生まれていくのである。

小田原の北条幻庵も、立派な風呂屋を設け、連歌師や
客人を招き、“ 接待 ”の場としている。

関東や東北の虚無僧寺が「風呂」を設けていたのは、
この「幻庵」の影響ではないかと、私は考えている。

江戸時代の末に出版された『虚鐸伝記国字解』では、
「鎌倉時代、法燈国師が 中国から4人の尺八居士を
連れて帰り、由良興国寺で風呂炊きをさせた」と
書かれている。「風呂谷」という地名もあったそうな。

虚無僧が風呂屋を営むのは、まさに、この故事によるもの
とされているが、私は、江戸時代に虚無僧寺が風呂を営んで
いたので、その由緒を創作したものと思っている。

虚無僧が尺八を吹く姿、まさに「火吹き竹」で風呂を
沸かすのに通じているではないか。

ところで「風呂坊主」が「プロポーズ」のジョークに
使われているとは知らなかった。

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