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日本の宗教(寺院と神社) 

2016年12月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



何故寺院に鳥居があり神社に仏がいるの?

仏の名を名のる神も登場(八幡大菩薩)
宗教は仏教、神は祭司の場で尊重から本地垂迹説へ(神とは仏の仮の姿がある)
復古神道は、外来文化仏教の影響がない古来の信仰を理想視する
 ☆明治維新の神仏分離令に結び付く
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『宗教史(成美堂出版)』他
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています










神社と寺院(『宗教史(成美堂出版)』、ネットより画像引用)

仏の名を名のる神も登場
仏教が伝来した以後、神への信仰はは仏教とまじりあう
日本独特の儀礼や教義が生み出された(神仏習合)
政権が重視した宗教は仏教、神は祭司の場では尊重された
神は宗教としては従属的な立場でした

神道の教義
神道では「仏教とどうかかわるか」を模索してきた
平安時代には神仏習合に関する神道教義が仏教側から発信された
天台宗、真言宗が「神とは仏の仮の姿があるとする」本地垂迹説の教義を提唱した
 ☆「神が人間と同様迷える存在で救いを求め仏の弟子になる」との解釈
八幡大菩薩のように菩薩号がついた神も生まれた

寺が神社を神社が仏堂を併設
仏に帰依した神は、護法神となって寺を守る
 ☆寺院の境内に鎮守の社が勧請された
神社は、祭神の本地垂迹説を定めた
 ☆本地仏を立てる神社も現れた

鎌倉時代から起こった神道復権運動
「仏主神従」の風潮に疑問が持たれた
国の神祇官吉田氏は「仏は果実、儒教が枝葉、神はその根」であるとする説を唱えた
江戸時代には、日本独特の文化や思想を追求する国学をが盛んになる
神道復権運動は、本地垂迹説にもとづく信仰を否定した
この思想は明治維新の「神仏分離令」に影響を与えた

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