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火工廠のことと民話の風景を見聞きして来ました 

2016年11月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

朝10時火工廠跡の図書館で富田さんと待ち合わせ。ところが、昨日の疲れが抜けない私はぼんやりして、うっかりひとつ手前で降りてしまい、次の電車に乗ったら急行で川越まで持って行かれて、仕方なく二駅逆戻り。普段こういうミスはしたことがないのに遅刻してしまいました。


火工廠について富田さんは60代半ばからたくさんの人を訪ね歩いて取材されたそうです。
50年も経ってから火工廠のことを聴きに行くと、「憲兵がくるから喋れない」と何人もの人に言われたそうです。火工廠と聞いただけで悪夢が蘇ってしまうのだそうです。
新たなアルバムもお借りしたのではない、資料が増えました。時間をかけてまとめましょう。


もう一冊の著書、ふじみ野風景物語から、再話させて頂いた「河童の詫状」を聞いていただきましたら、褒めてくださって、帰りにその背景の渡場を見せていただきました。


新河岸川は昭和5年に全く別のところに真っ直ぐに作られて橋も架かりました。昔の渡し場跡に川は無く草むしているだけでした。こんな小さな川で、水運が盛んだったとはビックリでした。



新河岸川の舟運は有名で大きな船問屋も何軒も有ったのに、当時の新河岸川は細く浅く曲がりくねっていたと知ってビックリでした。
川越やその下流の幾つもの船問屋から、江戸に物資を運んだのは底の浅い、小さな船だったようです。曲がりくねった川を、どのくらいの荷物を載せて運んだのでしょう。
川越芋などは重いのに。今度川越に行ったら調べてみたいです。


鶴瀬駅まで送っていただき、食事と買い物をして病院に様子を見に行ったら、せっかくの窓際ベッドが日当たりがよく暑すぎるとわがまま言って、廊下側に移っていました。
元気なので退屈しきり。テレビと読書で我慢しなくちゃ。明日は来ませんよと言って来ました。私の疲れが取れないもの。














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