メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

織田一族は 子だくさんだった 

2011年02月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



織田信長の子は、男子12人、女子10人も居たとは驚いた。
父信秀も子沢山で、信長の兄弟は12人、姉妹は13人。「お市」
だけじゃなかった。甥っ子姪っ子、孫の数はすごい数だ。(「信長の家系」)


1織田信正(庶長子、但し、実在したかは不明)

2織田信忠(嫡男 天正10年 本能寺の変で死亡)。その子が「三法子(秀信)」

3織田信雄(次男、のぶかつ。北畠具房養子。天正11年 秀吉と柴田勝家の対立では
      秀吉に就き、弟「信孝」を 岐阜城に攻めて自害させる。しかしその後、
      秀吉に逆らって 徳川家康と同盟を結んだり、関が原では去就をあいまいにし、
      最後は徳川幕府の旗本として幕末まで長らえた。8男5女あり、七男
      信高の系統の末裔がフィギュアスケート選手の織田信成とのこと。

4織田信孝(三男、神戸具盛養子))本能寺の変の後の信長の後継争いでは、
      柴田勝家に担ぎ出され 岐阜城主となるが、翌天正11年(1583)
      信雄に攻められ自害。

5羽柴秀勝(四男、羽柴秀吉養子)。なんと、本能寺の変の前に、秀吉は信長の4男を
      養子にもらっていたのだ。ならば、養子の「秀勝」を立てればよかったのに
      あえて「嫡流を」と筋を通したところが智恵者。NHK大河ドラマ『江』で
      嫡男信忠の子「三法師」を担ぎ出し、「親戚の子」といっていたが、
      信長の子「秀勝」の義父であれば、「三法師」も親戚となる。あながち
      嘘ではなかったのだ。 

6織田勝長(五男)
7織田信秀(六男)
8織田信高(七男)
9織田信吉(八男)
10織田信貞(九男)
11織田信好(十男)
12織田長次(十一男)

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ