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世界の宗教(ワッハーブ派運動) 

2016年11月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



西欧世界の進出で変容した中東地域のイスラーム教

イスラーム世界は、いち早く近代化に成功したヨーロッパ列強の帝国主義支配に翻弄される
二度の世界大戦、東西冷戦といつた世界情勢にも翻弄される
アラビア半島やその他の中東地域では、ヨーロッパの近代化に追随する勢力も現れた
相対する動きとして、初期のイスラームの伝統に立ち返ろうとする復古主義が各地で台頭し始めた
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典、『宗教史(成美堂出版)』他引用&参照
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています




ワッハーブ派運動(『宗教史(成美堂出版)』、ネットより画像引用)

ワッハーブ派運動
オスマン帝国は、ヨーロッパの文化を取り入れる欧化改革を進めた
ワッハ―ブは「ムハンマ時代のイスラーム共同体に帰れ」として伝統への回帰を唱えた
ワッハーブは、アラビア半島内陸部を拠点にワッハーブ派を起こした
イスラ―ムの復古的な改革により、列強に対抗しようとする運動です
有力部族サウード家に支援されて、一時はアラビア半島全域を征服した
その後もワッハ―ブ派は各地のイスラーム復古運動に影響を与えた
その運動は、サウード家によるサウジアラビア建国へと結びつき今に至っている

イスラーム世界に衝撃を与えイラン革命
イランでは、アメリカの支援を受けるパフレビー王朝が国を治めていた
シーア派の法学者ホメイニー氏が抵抗運動を指導
イマーム(宗教指導者)が不在の場合は、法学者がそれに代わる「法学者の統治論」を唱える
ホメイニー氏は、政教一致の国家体制をめざして王権を打倒した
この革命は、世俗主義をとる周辺諸国に「革命の波及」を懸念させた
結果、イラン・イラク戦争の勃起に至った

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