メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

「北方領土問題」交渉経過の深層、真相 

2016年11月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



北方領土問題とは、そもそも何? わかりやすく解説 (今さら聞けない)

第二次世界大戦が契機となって生じた「北方領土問題」
安倍首相は、プーチン大統領とロシア南部のソチで非公式に会談
両国間で懸案事項「北方領土問題」と「平和条約」などについて協議した
「北方領土」とは、全面積は、千葉県や愛知県と同程度の面積です
北方領土問題での日本側要求は
 ☆日本へ日ソ共同宣言で、引き渡しが約束されている「歯舞、色丹」返還
 ☆帰属が不明確な「国後、択捉の返還交渉」の継続審議
サンフランシスコ条約で、日本側「国後、択捉」を一度放棄している?
ソ連もソ連崩壊時、資金より?「国後、択捉」も再度交渉の土俵にあげた?
出典、ハフィントンポスト(吉川氏)参考&引用








北方領土(ネットより画像引用)

「北方領土問題」とは?
第二次世界大戦が契機となりソ連が占領した4つの島です
 ☆4つの島(歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島)
全面積は、千葉県や愛知県と同程度の面積です
日本とロシアの双方が、自国の領土と主張しています
現在はロシアが実効支配

第二次世界大戦
第二次世界大戦では、日本とソ連は「日ソ中立条約」を締結していた
広島に原爆が投下された2日後、ソ連は「日ソ中立条約」を破棄し、日本に宣戦布告した
ソ連の宣戦布告には「ヤルタ秘密協定(南樺太・千島列島をソ連領にする密約)」があった
日本は「ポツダム宣言」を受諾、降伏した
ソ連軍はその後も「北方領土」を占領し、現在に至っている

サンフランシスコ講和条約での日本の国境線
日本は、日本の領土から、台湾、朝鮮、南樺太、千島列島の放棄した
この条約にはソ連や中国が調印に参加せず、「片面講和」でした

サンフランシスコ条約での「千島列島」とは?
日本の見解は「歯舞、色丹が北海道の一部」千島列島に属してない
日本の見解は「択捉島、国後島は「昔から日本領土だった」」と言及するにとどまった
外務省の条約局長は、「放棄した千島列島に南千島(国後島、択捉島)も含まれる」とも答弁している
千島列島が何処なのか、サンフランシスコ条約には記載されていない

日ソ共同宣言
鳩山首相とソ連の首相は、モスクワで「日ソ共同宣言」に署名した
戦争状態の終結と国交回復がなされた
共同宣言では、「ソ連は歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する」と述べられている

日ソ平和条約が締結された後合の意事項
 ☆ソ連側は歯舞群島、色丹島の「二島返還」を提案
 ☆日本側は「四島返還」での継続協議要求
日本側の「四島返還」主張の背景には、米国の圧力があった
米国は、二島返還を受諾した場合は沖縄を返還しないという圧力をかけた
東西冷戦の最中、日ソ接近を警戒しての圧力でした

日ソ間では、平和条約の締結されていない
米ソ冷戦で、日米安保条約が改定延長された
ソ連は、日ソ共同宣言の内容を後退させ「領土問題は解決済み」との声明を出した
日本側は、四島返還を求める姿勢を強めた

日ソ共同宣言40周年
橋本首相とエリツィン大統領はロシアのクラスノヤルスクで非公式に会談
2000年までに平和条約を締結するよう全力をつくすことに合意した
「クラスノヤルスク合意」で日本側では四島返還への期待が高まった
両首脳の退陣で、ソ連崩壊を契機におこった領土問題解決の機運は、頓挫した

森首相は、プーチン大統領とロシアのイルクーツクで会談
日ソ共同宣言を、平和条約交渉締結の出発点とした、基本的な法的文書とした
 ☆日本への引き渡しが約束されている「歯舞、色丹の返還交渉」
 ☆帰属が不明確な「国後、択捉の返還交渉」も並行して進める
「国後、択捉を諦めることにつながる?」という反対論が日本国内では強まる

参考文献:
岩下明裕『北方領土問題 4でも0でも、2でもなく』中公新書、2005年
浦野起央『日本の国境: 分析・資料・文献』三和書籍、2013年
東郷和彦『北方領土交渉秘録 失われた五度の機会』新潮文庫、2011年
外務省『われらの北方領土 2015年版』

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ