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雑感日記
昭和43年(1968年)35才 東北2年目絶好調?
2011年02月16日
テーマ:テーマ無し
★昨日、雪道の走行のことで、東北時代の車の運転、特に雪道走行のことを書いたのだが、1年を通じて東北6県を車を駆って走り続けていた。
冬の雪道もものともせず、何百キロの道を走り続けていたのである。
各県の主たる都市に代理店はあったのだが、さらにその先のサブ店と当時は言っていた販売店まで足を運んでいたので、東北の道は、東北の人より詳しいはずである。
当時の販売方法は、各地にあるサブ店、販売店と言っても自転車屋さんで、資金力はないので商品の委託販売が一般的であった。如何に多くの店にバイクを委託できるかが勝負みたいな不思議な販売方法で、実際に車が売れるのは委託商品にお客が付いてからである。客に商品が渡っても直ぐに金が入るわけでもなくて、それから何ヶ月かの分割販売になるのである。
そんなサブ店が結構威張っていて『サブ殿様のデーラー乞食』などと言われていた時代なのである。
タテが200キロ、ヨコが100キロの岩手県をはじめ、面積だけは日本でも大県が揃っている東北6県は、なかなか走りでがあって、月のうちほとんどを出張で過ごしていた、そんな1年であった。
★90ccのスポーツ車まがいのものがニューモデルで出たとはいえ、まだまだ実用車がメインの時代で、この年の東北6県の販売計画は年間9000台、カワサキの中ではトップ、関東圏よりも販売台数は多かったのである。
文字通りの主力市場で、この年の全国の販売台数の金賞が岩手カワサキ、銅賞が福島オートと秋田カワサキと4賞のうち3賞を独占したような好成績だったのである。
直営所と言われた西の地域などが元気がないなかで、東北だけは意気軒高で、別世界のような様相を呈していた。
担当していたのは、営業など新米の所長の私とサ―ビスから転じた宇田川君、同じく経理から来た石塚、中茎の営業素人集団ではあったが、元気だけはなかなかよかったのである。
前年度は、事務所もなくて宮城カワサキの中に机を置かせてもらっての仮住まいであったが、前年秋に土地を買い、倉庫兼事務所を建てて、この年の5月にめでたく自分の事務所を持つことになったのである。
今の仙台の事務所の場所である。
この事務所の土地も、業者からは5000坪ほどどうですか?と勧められたのである。川崎航空機なら5000坪でも買う理由が出来る。一般の会社は買おうにもその理由がなかなかない。買ってから転売すれば儲かること請け合いと言うのである。 然し本社は300坪にこだわるものだから今のような斜めの土地になったのである。
新事務所には、宮城カワサキのサービス部門の服部君(服部カワサキ前社長)以下サービス部門も移ってきた。このグループはサービスの仕事も出来たが、同時に熱心なモトクロスチームでもあったのである。そんなわけで、私の前職ファクトリーチームにはまだまだ顔も効いたたので、いろいろと面倒を見て上げたのである。こんな貸しが40年経った今でも効いていて、服部君からは、サクランボやおコメなど毎年送って頂いて恐縮しているのである。
★東北各地でレースは盛んだったので、明石のライダーたちはしょっちゅう競って東北にやってきた。
山本、歳森、星野、岡部、梅津とカワサキモトクロスの全盛期であったし、走れば優勝と言うような状況だったから、各代理店の社長さんたちも競って招待し、現地に来た時の待遇は抜群によかったようである。
白バイも各県ともまだメグロが主力に時代で、前年度に続いて各県の白バイ隊員に対しての走行講習を山本隆君が講義と実技を行ったりしているのである。
この年の第5回MFJモトクロス日本グランプリは、札幌の手稲のコースで8月11日に行われたのだが、このレースを観るために?その日に合わせて北海道と東北の合同代理店ブロック会を定山渓で行って、それに出席の名目で、仙台事務所の所員全員が仙台から札幌まで車で出かけたのである。
下北半島を走ったのはこの時だし、本州の北の果て大間にカワサキの販売店があったのは感激であった。大間からフェリーで函館、そこからまた札幌まで、仙台札幌は2000キロである。
日本グランプリの成績は、90cc星野一義、125cc山本隆、とカワサキが優勝、250ccはヤマハの鈴木忠雄であった。
このレースの帰りは登別温泉の大浴場で文字通りの混浴を楽しんだりしたのである。まだそんなよき時代であった。
この年のMFJ最優秀選手には山本隆君が選ばれて、ご褒美にヨーロッパ視察に行くことになるのだが、、東北の社長さん方から5万円の餞別を贈っている。これは私は忘れてしまっていたが、日記にそう書いている。当時5万円はまだまだ値打ちであった。60おじさん覚えているのだろうか?
★こんな年だったのだが、家庭では長男がようやく幼稚園に入園している。月のうちほとんどを出張で、家内は独り子育てで大変だったのだと思うが、帰ってきて日曜日などの家庭サ−ビスには、本当に喜んでくれているし、たまに戻るので、気持ちとしては新鮮であった。新婚生活が続いていたような感じである。
近くに、親戚などもいない、まさに独立の家庭であった。
私は遊びやスポーツでは、長男などはずっと付き合ってやったのだが、幼稚園も、小学校のときも父兄参観などは娘も含めてただの一度も行ったことはない。子供のスポーツのことではよく学校を覗いたが、勉強のことは一切構ったことも関心を持ったこともない。学校の成績などそんなに大したことではない。勉強などやりたければ卒業してからでも、幾らでも出来ると今でもそう思っている。子供の資質以上に学問の成績を求めるのは酷だと思っている。逆にスポーツなどの世界は鍛えたら、これは伸びると思っているので、勉強はほどほどにスポーツは確りと思っている。少し偏見かな。
当時の日記に、子供の教育に親がかまい過ぎる、子供の世界があるのだから、放っておけば自然に成長するなどと書いている。高校も大学も就職も、もちろん結婚も、息子の場合は一度も相談に乗っていない。小学校の時に一緒に釣りなどにはよく行ったのだが、その時『男の子は自分のことは自分で決めろ』と言ったのが効きすぎたのかもしれない。娘の就職だけはちょっと面倒をみたのである。
前年貰ってきた柴のシロが5月に仔犬を生んでいる。石塚君が1匹、貰ってくれている。石塚君とは犬ではご縁があってTom Love という夫婦の柴が生んだ子も貰ってくれたのだが、まだ健在なのだろうか?Loveは16年生きたが昨年の今頃亡くなった。
石塚君も当時は新婚で確か12月25日に女の赤ちゃんが生まれている。みんな若くて元気な時代であった。
★この年35歳である。
代理店の社長さんがたは、ずっと年上だったし佐藤農機の社長さんなどは父親みたいな年の方だった。川重の方ならご存知のKMGの社長をしていた佐藤君のお父さんである。
そんな代理店の経験豊かな社長さんがたが相手なのだが、各代理店が開催する販売店会議などでは、私はメーカーの所長として主賓の挨拶をしなければならぬし、結構地位的に偉くなくてはならないのである。
背伸びもいいところであったが、このころのそんな経験で100人以上の前で挨拶をすることにも慣れたし、少々のことには驚かなくなってしまった。
人間、別に年をとったからと言って、そんなに成長するものでもない。若くても経験などなくてもちゃんと出来るものだと思うようになったのはこのころの自分のことでそう思うのである。
その後いろんな人と、いろんなところで、いろんな年代の人と付き合うことになるのだが、年が若いからと言って差をつけたりしたことは一切ない。
歳や学歴や職位などとは一切関係なく、『人を見る』習慣は今も身についているのである。
これはこのころ、東北の社長さん達が35歳の若輩を年に関係なく立ててくださった有難さを身に滲みて感じているからかもしれない。
いろんな経験をした。
この年の5月16日、東北の大地震であった。盛岡から八戸に向かう途中の車の中であった。明石からの中村治道さんと前田祐作さんを乗せていた。
ものすごい揺れだった。直ぐ何百メートル前の道が崩れてなくなってしまった。私にとっては阪神大震災よりも大きな地震であった。
昭和43年、そんな年だったのである。
標題に『絶好調?』と?をつけたのは、表面絶好調ではあったのだが、ホントはそうではなかったのかもーーーと言うことで。
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