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村的な町? 

2016年09月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

土地の方に聞くと、この町は昭和30年代までは純農村だったそうです。志木から鶴瀬の間には駅がなかったし、現在のバス通りの両側は「ヤマ」と呼ばれる雑木林が並んでいて、堆肥も燃料も、林でまかなっていました。
湧き水の豊かな東南側は田圃でした。(田んぼは真っ先になくなったそうです)


50年前頃から、幹線道路沿いの田んぼや林が買われて、倉庫がどっさり作られ、印刷工場と出版社などが集まり、パンやお菓子の工場も増えました。小さい町工場も移転してきました。
池袋まで19キロ余りの近さなのに、純農村でしたから、工場や倉庫が進出するのに最も良い土地だったのでしょう。
しかし、市街化調整区域は、工業化できないので、畑も沢山残りました。
雑木林も薪を採りに入らなくなったため、鬱蒼となっていましたが、近年、保存して安らぎの場に活用することが奨励されているようです。
公園が足りない町なので、は入れる雑木林が増えたら嬉しいです。


隣の富士見市にみずほ台駅が出来、広いマンション群が次々建って、三芳町に広がりました。10階建て以上で、何百世態のマンション群が、遺跡の上に次々建ちました。遺跡の出土品は歴史民俗資料館に展示されています。
武蔵野台地の端は、古代人にも住み良い土地だったのでしょう。遺跡の上にあるような町です。


さて、工場や倉庫がどんどん入ってきた町は、高度経済成長に乗って、税収が増えた時期がありました。
平成の大合併の時、富士見市や、ふじみ野市、所沢市、などとの合併案が出たようですが、当時ダントツお金持ちだった三芳町は「合併したら損しちゃう」という多くの反対で拒否。


「東京に一番近い町」と、胸を張っていたそうです。


10年前に引っ越してきた頃はまだ、敬老会も派手で、中国雑技団(8名)を招いてくれたのにはびっくり仰天しました。次の年も中国雑技団を存分に楽しみました。
そのあとは、目下売り出し中の演歌歌手とか、テレビでは売れなくなっちゃった漫才師とか、土地出身の歌手達とかになっていました。
今の町長が当選したら、町内のお神楽と、中学のブラスバンドに変わり、費用削減がなされたようで、しかも演歌は好きでない私にはとっても嬉しかったのですが、やはり地元の歌手は呼んであげないとまずいらしく、演歌が復活して今に至っています。でもブラスバンドは残りました。お神楽も見たいけど・・・中学生の発表の場が減らなくてよかったです。


10年前の敬老会のお祝品は豪勢でしたよ。
町の名産狭山茶。越生の梅干し、他にも何かというのが2〜3年続いて、梅干しは無くなりお茶とタオルになって、去年までは紙の手提げ袋に入って、のし紙もついていたと思います。今年は素敵に合理化されていました。これがいいです。
お茶の袋に直にのし紙の印刷をして、お茶が直に入っています。つまり袋は一枚で済んでいます。タオルは無しで(要りません)小さなレジ袋とプログラムだけ。
去年よりかなり経費削減されたと思います。拍手したいくらい。
お煎茶は90グラム。去年より10g多いかな?私には一番嬉しいプレゼントです。



都会では、敬老会なんてとっくになくなって、役所からの祝い品なんて全然ないそうですね。この町に来て一番びっくりしたのがこういう行事の多さです。
こちらも社会福祉協議会と町とで祝ってくださるのですが、今町は酷く貧乏になったと言って、70歳以上のバス券もお風呂の補助券も廃止されましたが、敬老会は止められないのですね。でも年々年寄りは増えるし、町も大変でしょうね。


私個人としては、敬老会は無しで良いから、貧困児童問題にこそ、もっと取り組んでほしいと思うのですが。


年寄りは目立つけど貧困児童は目に見えませんから、しっかりケアしてほしいです。

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