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敗者の日本史(源氏1) 

2016年07月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



源氏

排除された源氏の身内と“最後の敗者”奥州藤原氏
女性を助命するという頼朝の方針は、奥州攻めでも一貫している
頼朝、源氏の身内の木曽義仲、源義経を殺害
頼朝、奥州藤原氏(泰衡、高衡)を殺害
興味ある本でしたので、購入しノートとしてブログに記載してます
本には、綺麗な絵画が記載されています
 ☆本『敗者の日本史(歴史REAL)』記事参考&引用
 ☆詳細本で確認ください












源氏(ネットより画像引用)

木曽義仲
木曽義仲(頼朝と異母兄弟)は、頼朝との関係が悪化した際、息子を頼朝の娘に婿として鎌倉にさしだす
木曽義仲死亡後、義仲の娘婿息子を頼朝は殺害している

源義経
朝追討の挙兵に失敗した義経は、奥州平泉に逃げ延び、奥州藤原氏の庇護を受けた
義経の愛妾静御前が生んだ男子に関し由比ガ浜に沈めている
義経を保護したのは、奥州藤原氏の秀衡、泰衡でした
義経捕導を求める頼朝からの圧力に抗しかね、泰衡は、義経を襲撃、義経は妻・娘とともに自害して果てた
泰衡は、義経の首を鎌倉の頼朝のもとへと送った

藤原泰衡
それでも、頼朝は、奥州攻めを敢行し、泰衡は北海道へと逃れる途中、郎従の裏切りにあって殺害された
泰衡の弟・忠衡と頼衡も、泰衡が義経を討った際に討たれており、奥州藤原氏では内部分裂が生じていた?
奥州藤原氏は、源平合戦最後の敗者です

藤原高衡(藤原泰衡の弟)
頼朝の奥州攻めの際に戦わず降伏し、頼朝のもとに捕虜として留め置かれた
京都で討幕の兵が上がった際、高衡も加わり、幕府軍に討ちとられている

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