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松代大本営とは? 

2016年07月29日 外部ブログ記事
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松代大本営跡

NHKラジオ英語で観光地として情報入手?
太平洋戦争末期、日本の政府中枢機能移転などの為掘られた地下坑道跡です
象山地下壕が一般公開されています










松代大本営(ネットより画像引用)

松代大本営跡概要
海岸に近い、関東平野の東京は、防衛機能が弱いと考えられていた
サイパン陥落後、本土爆撃と本土決戦が現実の問題になった
本土決戦を想定し、日本軍本部は、海岸から離れた場所への中枢機能移転計画を進めていた
終戦1年前より、長野松代へ皇居、大本営、重要政府機関の移転のための施設工事が了承された
関連施設は、善光寺平一帯に造られ「一大遷都」計画でした

皇居御文庫
1935年頃、鋼鉄扉の防空室(地下金庫)が作られた
天皇と皇后は空襲警報発令のたびに、宝剣神璽とともに皇居防空室に避難していた
1941年御文庫が極秘に着工され翌年に完成した
施工を請負ったのは大林組です

松代大本営海軍壕
海軍も大本営海軍部用の地下壕を建設することを決定した
海軍も、長野に大本営海軍部用の地下壕を建設するため、設営隊を派遣した
地下壕はおよそ1000人を収容できる規模のものが計画された
隊の将兵は、近くの民家や寺院に寝泊まりして掘削に当たったが敗戦となった

松代大本営慰安所
壕周辺に慰安所には、約4人の朝鮮人の慰安婦がこれらの施設を回っていた
朝鮮人労務者用の中で監督する立場の朝鮮人上級幹部用のものでした

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