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常陸宮妃華子さまがご結婚前に参拝された新宿・西光庵と管理人の縁 

2016年07月21日 外部ブログ記事
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常陸宮妃華子さまと同じ、日産厚生会玉川病院で26日に変形性股関節症人工骨置換手術をする入院の準備をしていますが、入院中にはリハビリ室でお目にかかれるかも知れません。
管理人の菩提寺である新宿・西光庵の庵主さまから華子さまにお届けくださいと「宗教法人浄土宗西光庵 開山二百年史」をお預かりしていますので、病棟ナースセンターを通じてお渡しをしたいと思っております。

華子さまの実父は尾張徳川家の出身で、弘前藩藩主津軽家の養子となった伯爵・津軽義孝氏です。
系図は「系図で見る近・現代史第17回」を参照ください。
ですから、常陸宮に嫁ぐ1964年(昭和39)9月30日の以前に尾張徳川家第17代藩主徳川義勝の菩提寺である西光庵にご参拝をなされました。

西光庵と管理人には不思議な縁があります。
当ブログ「プロフィール」に『1953年 私が16歳の時、父がくも膜下出血で死去。貧乏のどん底生活のため生活保護法の葬祭扶助制度で父の葬儀が執り行われた。母と私と妹2人は親戚にそれぞれ引き取られ一家は離散。都立中野工業高校化学工業科を中退。』と記述してありますが、石川県金沢市高尾町長谷川家の三男として上京しましたのでお墓の準備なぞしておりませんでした。病院から遺体を自宅に引き取った晩に、亡父の知古だった荻窪駅前の古道具屋主人武田さんが「私の妹が新宿で尼僧をしているがどうだろう」と言われましたので、藁をもつかむ思いでお願いしました。
通夜と葬儀告別式を西光庵の庵主さま北川教全上人と妹の尼僧に読経をして頂きました。お墓も西光庵の片隅に造らせて頂きました。

昨年6月に執り行われた西光庵開山二百年記念施餓鬼法要で頂いた「開山二百年史」を読んで驚きました。それは西光庵も加賀藩前田家との由来があることでした。





記念講演をする尾張徳川家第22代当主徳川義崇氏




<西光庵起立の由来>
『かくして一寺を構える準備として適当な土地を探すいち、上州七日市一万石の領主前田大和守利以(としもち)の別墅(別荘の意)が東大久保に在り、他に邸地を替えたい意向があることを知って、調べるうちにここが四隣閑静で、まことに寺地にふさわしい土地であることがわかり、早速小牧助七の名義でこの地を前田家から譲受け、ここに寺を造ることとなった。面積は凡そ二千六百坪であったという。(略)時に文化十二年(1815)であった。』

管理人は1971年の新宿区議会議員選挙に初めて立候補をしましたが、大勢の有権者の前で初めて挨拶をした場所が、ここ西光庵だったことも何かと面白い縁だと思っています。
地元の東京土建組合新宿支部余丁町分会の新年会は、毎年1月7日に西光庵保育園で行っていましたので、先輩の茶山克巳都議会議員に連れられて立候補の挨拶をしたのでした。
4月10日の投開票日には、定数52名中第2位で初当選することが出来ましたが、亡父が墓場の陰から応援してくれたお陰かとも考えるときがあります。

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