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平成の虚無僧一路の日記

世間の愚弄と嘲笑を浴びながら 

2016年07月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



虚無僧は「普化宗」と言っても「普化宗の教義」など無い。普化禅師の
教えを説くものもいない。法燈国師も普化については何も語っていない。
だが「普化の禅」は、経典も教本も説教師も存在しないが、尺八の中に
嫋々脈々として流れてきた。と私は思う。
「喰うものも碌に喰わず。着るものも碌に着ず、野に伏し、他人の軒下に寝、
立身出世や栄耀栄華を捨てて、社会の愚弄と嘲笑を浴びながら、尺八一本に
すがって生きてきた。その中から普化の禅が悟れるのである。
この1週間、金は一銭もない。食べるものも底を尽いた。
7日間の内、雨天の2日を除いて 5日虚無僧に出た。名古屋駅前も
栄も 華やかな若者たちで溢れている。その傍らに場違いな虚無僧。
彼らの冷ややかな視線、無視する心、嘲笑と愚弄に堪え、ひたすら
尺八を吹く。騒音迷惑にならないように、細心の注意を払い、
一音一音に心こめて吹く。だが3時間吹いても反応はなし。
絶望とあきらめの窮地に立たされた時、一人の若者が、通りすがりに
さりげなく小銭を入れてくれる。そんな時、絶望の中に一筋の
光明を見た気がするのだ。不思議なことにゼロという日はない。
 
周囲にはチラシやティッシュ配り、広告のプラカードを掲げて立つ人。
そのバイトの方が、よほど収入になるだろう。1日で6000円とか。
でも私にはできない。私には尺八しかない。私にとって尺八は
唯一の生きるための道具なのだ。そこまで追い詰められて、ようやく
普化の禅を知れると私は思う。
 

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