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平成の虚無僧一路の日記

「普化禅」とは 

2016年07月11日 外部ブログ記事
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中塚竹禅によって「普化と法燈国師と虚無僧は本来無関係」ということが
明らかにされたが、それは「普化禅」を否定するものではない。
ここが大事。中塚竹禅はいう。
「法燈国師や興国寺のおかげで、今日の尺八界が現出したのではない。
野に山に里に、あるいは他人の軒下に、樹下石上に、涙ぐましい苦難の成長を
遂げてきたのが、純真なる普化道者。喰うものもなく、着るものも無く、野に伏し、
山に寝、全国を旅し、ひたすら(尺八の)曲を求め、音を尋ねて、幾日も幾夜も
眠らない日を続けた先覚者たち。立身出世や栄耀栄華を捨てて、専心尺八に
自己を没し、社会の愚弄と嘲笑を浴びながら、尺八一本を守って来たのである」
それこそが まことの普化道なのだ。この竹禅の地の底からの叫びに私は落涙滂沱。
竹禅にとって尺八は余技ではなく生きる命そのものだった。
私もその片鱗を拝し今、尺八を杖として生きているのだ。
 
 

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