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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧 八態 

2016年07月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



大正昭和にかけて生涯を尺八にかけた中塚竹禅。虚無僧関係の
膨大な史料を収集し、「慶長の掟書」を偽書と断じ、「普化禅師と
虚無僧は関係が無かった」「法燈国師は普化宗と関係ない」との
結論に達した。そして虚無僧の形態を八つに分類している。
その分類に私なりの補足を加えてみた。
1 普化禅の求道者  江戸時代には稀(まれ)。
          現代の古典尺八愛好家には多い。海外にも多数。
2喰い詰めた浪人(失業者) 江戸初期はほとんど大部分。
          現代では私一人か。
3 尺八指南者   「尺八吹合所」が全国にいくつかあって、
          尺八を教える師がいた。この系統の人たちが
          明治になって尺八を楽器として興隆させた。
4 寺詰め虚無僧  剃髪得度授戒を受けていれば住職。正規の僧の資格ある者は稀。
         他は有髪で正規の僧籍は無いため看主(手)・院代などと称していた。
         その下に事務を行ったりする役僧がいた。
5 真面目な本則虚無僧 裕福な町人や庄屋(名主)の隠居で、虚無僧寺から本則を
         もらい受けて、托鉢して回った。幕府は虚無僧寺の収入源を断つため、
        「慶長の掟書」を逆手にとって、侍以外に本則を出すことをしばしば
         禁止したが、一般人で虚無僧に憧れる者は多かった。
6不逞悪徳虚無僧 幕末になると虚無僧寺には前科者。無宿人までが紛れ込んでいた。
7 道楽虚無僧  江戸時代の中頃、派手な女物の着物を着た伊達虚無僧が横行した。
        多くは旗本のドラ息子か。現代でいうコスプレ虚無僧。
8 臨時虚無僧 脱藩、敵討など、故(ルビ:ゆえ)あって駈け込んできた者。
 

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