メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

言葉は要らない 

2011年01月31日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「言葉で伝わるのは、わずか7%。口調で18%。あとは 
“見た目”」という調査結果。根拠は知らぬが、一理ある。

悪さをした幼い子供に、いくら理詰めで説いて聞かせても
伝わらない。福沢諭吉は、子供達が 騒ごうが 悪さをしようが、
多少のことは黙って見過ごしていた。決して声を荒げて叱る
ことはしなかった。あまり目に余るいたずらには、目で叱った。
時には悲しい目、嘆かわしいという目、あきれたという目で、
自分の思いを子供たちに判らせたという。それが「独立自尊」の
教育だった。

「真如苑の寒修行」で、何人かのプルーフ(体験発表)を聞いた。
小乗仏教のタイや、キリスト圏のドイツ・フランス、ブラジル人、
イスラム圏の人までが、入信しているのには驚きである。

台湾の教徒は「日本語は判らなかったけれど、教主の音声
(おんじょう) の美しさに心打たれて入信した」と。また、
ブラジル国籍の人は「写真を見て」と。まさに、言葉による
理解を超えて、感じるものがあったといことだ。

もっとも、真言宗も禅宗も「不立文字」「口伝」なのだ。
経も言葉も要らない。身をもって体得して解ることなのだ。

高野山の空海は、比叡山の最澄から『理趣経』を拝借したい
と言われ、「字を読んで、解ったつもりになるのはいかん」と
拒否した。言葉はたしかに、誤解も招く。

曹洞宗の道元は「ただ座せ」と。
普化宗は、「ただ尺八を吹け」。それだけ。言葉は要らんのだ。



「虚無僧行脚」の模様を抜き出し、英語訳もつけて
紹介していただいてます。クリックして ご覧ください。

「名古屋駅・虚無僧」クリックすると「虚無僧」の写真が見れます

「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

クリックお願いします。 

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ