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都知事にも学んで欲しい陽明学の欠片 

2016年05月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



大塩平八郎(江戸時代後期の儒学者、大坂町奉行組与力)

江戸末期に起こった「大塩平八郎の乱」とは?
元役人でありながら、幕府に対して反乱を起こした大塩平八郎の人物像とは?
大塩平八郎の反乱は、3時間で鎮圧され、大阪の町の3割位が燃焼しました
反乱の背景には、政治腐敗や格差問題等、そして陽明学の教えでは?
BS11(尾上松也さんの古地図で謎解き!)の番組参考&引用


















大塩平八郎の乱(BS11(尾上松也さんの古地図で謎解き!)の番組画面より引用)

知行合一(王陽明がおこした学問である陽明学の命題のひとつ)
知(知ること)と行(行うこと)は同じ心の良知(人間に先天的に備わっている善悪是非の判断能力)から発する作用
論語の為政第二にある「先ず其の言を行い、而して後にこれに従う」が元になっている
知って行わないのは、未だ知らないことと同じである
真の知行とは「好き色を好むが如く、悪臭を悪むが如し」と説く
知は行の始なり、行は知の成るなり(知ることは行為の始めであり、行為は知ることの完成である)
「行動を伴わない知識は未完成である」とも言い表される
陽明学は、江戸初期、又幕末の頃の維新の志士たちに大きな影響を与えた

大塩平八郎大坂町奉行組与力時代
大塩家は代々大坂東町奉行組与力であり、平八郎は8代目です
奉行所時代は、狷介ながら汚職を嫌う正義漢として不正を暴きました
同僚の西町奉行与力の汚職事件でも活躍し、その辣腕ぶりは市民の尊敬を集めた
上司の東町奉行高井実徳の応援で多いに活躍した

大塩平八郎}陽明学者時代
上司高井の転勤で与力を辞し、養子の大塩格之助に跡目を譲った
陽明学『知行合一致良知』の命題中心に、陽明学を学び教えていた
自宅に開いていた私塾洗心洞で子弟を指導していた

大塩平八郎飢饉対策
天保の大飢饉は、全国的には天保7年秋から8年夏にかけてが特にひどかった
大坂東町奉行は、幕府への機嫌取りのために大坂から江戸へ強制的に廻米し、豪商が米を買い占めたため米価が高騰した
大坂の民衆が飢餓に、平八郎は蔵米を民に与えることや、豪商に買い占めを止めさせるなどの献策を行った
東町奉行は、江戸への回米を徹底するため、京の都は餓死者で溢れた
自ずと流民は大坂に流れ込み、大阪市中の治安は悪化した
役人は『不正無為』にも手を染めた
大塩平八郎の『檄文』には、朝廷への忠を念頭に、我が主君たる幕府への諫言を行う意図が明らかに読み取れる
このスタンスは、陽明学徒の主たる特徴です

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